車・自動車SNSみんカラ

2010年08月14日
今回、東京駅のトミカショップへ行った、もうひとつのキッカケは、今、買えないけど加工技術者なら一度は実物を見てみたい・・・といわれている、入曽精密 が加工した、トミカ40周年記念の  超微細加工アルミ製トミカ の何かを見れるかも思ったからだ。

まぁ8月20日からとメーカーが言っているので、殆ど期待していなかったが、やはり気になるものは気になるもので・・・結果として実物等見る事が出来なかったが、何時かは見て見たいという思いは募るばかりであった。

まぁアルミA5052を強調しているが、特段特別なアルミじゃない、極普通のアルミなんだが、トミカの画像を見る限り、加工に関しては、恐ろしく精密で手の込んだ加工がなされているのが分る。

これを実際に触って確かめたいと思うのは、生産技術をやっている者であれば当然だろう。

時間ができれば是非(見るだけ・・・閑話休題)と考えている今日この頃なのである。
Posted at 2010/08/14 17:52:23 | コメント(7) | トラックバック(0) | フェアレディ
2010年05月23日


さてさて、先日1971年のサファリ・ウイナーである、「E・ハーマン」と「H・シューラ」が日本に招待され8月に行われた「富士500キロ」を激走したブログを上げたが。。。

数少ない資料に、おぼろげな僕の記憶でリザルトなどなどを書き綴り、できうるなら詳細な資料をお持ちの方はいませんか?と書いたところ・・・・

転身 240Z名手ハーマン&シューラー富士を走る!
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/18063157/

ブルーバード時代からの友人の「くまさん」から、一通のメールを受け取った。

そこには、彼が所有する1971年10月の「カーグラフィック」のスキャンした画像が添えられており、スキャン画像の記事には8月に行われた、富士500キロの詳細が書かれていた。


当時の記事でも「サファリウイナー」が走る事に大いに注目が集まっていた事が伺える。資料提供 くまさん 資料元:CG1971年10月

その記事と、後にJAFより資料を引っ張り出した結果、リザルトが間違っていた事が判明した。

ここに くまさん から入手した貴重な当時の カーグラ の資料と、JAF の資料を合わせて再度、当時の様子を整理したいと思う。

レースは2ヒートで行わた。

まず1ヒートの結果は


日産ドライヴァー元祖「田中健二郎」、伝説のZ使い「柳田春人」、カージャーナリスの草分けとなった「浅岡 重輝」などそうそうたるメンバーが。。資料:JAF「レース情報簡単検索」より抜粋

ここで、H.シュラーが12位、E.ヘルマンが13位。

そして運命の第2ヒートでは


H.シューラーは順位を上げたが、E.ヘルマンはアクセルワヤーのトラブルでリタイヤ 資料:JAF「レース情報簡単検索」より抜粋

H.シュラーが7位、E.ヘルマンが、アクセルワイヤーのトラブルでリタイヤ。

結果、総合順位は


ラリードライヴァーでもレースで結果を残せるという証となった。 資料:JAF「レース情報簡単検索」より抜粋

H.シュラーが9位クラス4位、E.ヘルマンが20位クラス7位と検討した。

前回も書いたが、速いレーサーがラリーでも速い訳でもなし、その逆も真なのだが、


空撮された、悪路のサファリロードを200Km/hに迫るアヴェレージで走行する240Zのノーズ。このアングルがもっともZらしいアングルか。

努力をすれば、それなりの結果が残せると言う、ひとつの証を彼らは形作ったのだ。

前回のブログは、僕の薄っすらとした記憶と、ずいぶん以前 セントラル20 で、柳田春人 氏 から伺った話で構成したのだが、リザルトが総合や各ヒートの結果がごちゃごちゃになってしまっていたようだ。。。

この点に付いては、まったく僕の不徳の致す所で弁明の余地は無い。申し訳なかったと素直に謝罪する次第だ。

貴重な資料を、わざわざ発掘して頂いた、古くからの友人 くまさん にも、心からお礼を述べたいと思う。

これからも、襟を正してブログを書き続けて行ければと思うのだ。
Posted at 2010/05/23 15:05:14 | コメント(3) | トラックバック(0) | フェアレディ
2010年05月14日
ふと、フェアレディのモータースポーツへの参歴を省みたときに、意外に淑女との関係が面白い事に気付いた。

まぁ、相変らずのファンの戯言で恐縮なんだが、まず、こう思い立ったのは、一体フェレディ(フェアレデー)の最初のレースは何だったのだろうか?からなのだ。

そこから見えたのは、レース当初からフェアレデーのレース活動にはレディが絡んでいるという事だった。そうなるとさらに詳細を知りたいと思うのが人情で・・・

ちなみに私は間違っても日産の社員でも関係者でもない(大体、今の日産に魅力を感じないのが事実だ。感性とか歴史観の欠如した企業に魅力も感じないし、その際たるものがリーフだ。リーフなんて、美しさ機能美、リーフでなければならない・・・というメーーセージ性の欠片も感じられない酷いクルマだ)ので、趣味で集めた資料しか手元に無いので、そこから、詳細を調べるしかないのだが、なかなかこれは!と思う資料が無く・・・そういった時には折角、関東にいるのだから・・・という事で、国会図書館に足を向けたのだが・・・いやはや、逆に蔵書や資料が多過ぎて的を絞れないと言う有様。。。。

それでも分った事は、

1963年の日本GP。第一回の日本GPでのB-2クラスでフェアレデーSP310がブッチギリの優勝をした事は有名だが、実は、その下のB-1クラスで、何と「塚本 育子」という女性が操る、フェアレデーSPL212が出走13台中完走8台中、一台は失格となり、最終的に完走は7台となり、塚本のフェアレデーは総合6位であった。

ちなみにフェアレデーの歴史は

発掘 フェアレディSR311にファーストバックがあった・・・
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/183384/

に少し触れているのでご参考あれ・・・閑話休題

この「塚本 育子」という女性、実は翌年の第二回日本GPにも出走しており、この時はトライアンフで参戦したのだが、俗に言うスカG神話の陰の立役者になってしまったのだ・・・

そんな日本のモータースポーツの黎明期から、フェアレデーと淑女の関係があったんだと感心していると、北米の友人から面白いハナシを聞く事になった。その内容は、

「北米のダッツン(北米でのDATSUNの呼び方)フリークで有名なハナシで、北米での最初のフェアレデーのモータスポーツでの活躍は女性絡みで凄いらしい」

というものだった。そして送られて来た画像が、TOP画像中央のもの。

僕もこの画像を頼りにあらゆる手を尽くしたのだが、諸説が有って真実は闇の中というのが事実。

【諸説1】
1962年4月。USSC(全米スポーツカークラブ)主催のレディースカップで、ミセス テーラーの乗るフェアレデーSPLがブッチギリの優勝をした。

【諸説2】
1961年7月8~9日。Mrs Norah Taylor (ノラ テーラー)が ポモナ race track で、北米日産の 財津正義 がバックアップし、フェアレデー初のレースをした。

という二説まで絞れた。

諸説2で出てくるネーミングで調べると、彼女の旦那の Sam Taylor は、かなり有名なドライヴァーだったらしい事も分った。

さらに、ようやく入手したポモマでのレースのエントリー表にも、彼女と彼女の旦那、そして我らがフェアレデーの名前を見る事ができるのだが・・・しかし、名前は分ったが ノラ・テーラーの顔も、一切分らないというのが実に悔しい。

フェアレデー(フェアレディ)と、淑女との関係は、まさに謎が多いのだ。

日本代表の「塚本 育子」と、亜米利加のミステリアスなレディ Mrs Norah Taylor ・・・・

どなたか、この秘密の鍵を開いて頂けないでしょうかねぇ。
Posted at 2010/05/14 03:06:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | フェアレディ
2008年04月24日
私とした事が、10日も経ってこんな大切な日を忘れていた事を思い出した。

2006年4月13日パリの病院へ前日緊急入院した「シェカー・メッタ氏」が亡くなった。
若い人たちには、馴染みの無い名前かもしれないが、僕達、日産・・・いやDATSUNのラリーの黄金期を知っている者達には忘れる事の出来ない名前なのだ。

1971年初めてサファリラリーで、DATSUNチームに加入し、240Zラリーでいきなり二位に入賞した兵であった。


(画像中央がメタ氏である。)

TOP画像の様なジャンピングスポットで、ラリーカーとして大きく重い重戦車の「フェアレディ240Zラリー」を飛ばしても、確実にゴールまで導く名ドライヴァーであった。

僕には二人の尊敬するラリー・ドライヴァーが居る。

一人は「ラウノ・アルトーネン」

神業 240Zを華麗に操った男
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239184/

恩人 ラウノ・アルトーネンからみた240Z
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239190/

240Z、モンテと言えば、もう彼の存在無くして語れない偉大なドライヴァーで、DATSUNのラリーマシンの高速化に絶大なる影響を与えた恩人でもある。

一方の「シェカー・メッタ」と言えば、サファリでのDATSUNの黄金期を築いた恩人と言えるだろう。

1979年から1982年にかけてPA10バイオレットで4連勝し、サファリでの日産、いや日本車の名声を高めた恩人である。

後年彼は、WRC委員長となりラリージャパンの実現に尽力した事は意外に知られていない事実である。

そんな彼が2006年4月12日、パリで倒れ緊急入院したのだが、翌13日多くの願いも虚しく帰らぬ人となったのだ。。

舗装路の多いステージは正直、得意としていなかったが、サファリロードの様な悪路ではめっぽう強く、豪快でありながら繊細・・と言われた神業のドライヴィングは忘れることが出来ない。

日本では余り知られていないが、そんな彼も1973年のモロッコラリーで240Zを大破させリタイアしてしまった事があった。。。



そういえば、同じ1973年のサファリ・ラリーでも総合優勝しながら、パッセンジャーサイドのフロントフェンダーを飛ばしながらのゴールがあった。



1973年は、メタにとって鬼門の年だったのかもしれない。

そんな彼が亡くなって早くも2年と言う月日が過ぎたのだ。

ラリーの日産が斜陽になって何年が経ったのだろうか?

1971年に彗星の様に現われて日産の黄金期を築いた「シェカー・メッタ」に思いを馳せるに付け今の日産の姿に一抹の寂しさを覚えるのは僕だけだろうか・・・

今宵はPA10が活躍した4年間の資料を引っ張り出し、ラリーの日産とメタの活躍を偲びたいと思う。
Posted at 2008/04/26 21:21:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | フェアレディ
2008年04月09日
正直に言うと、僕の中でS30Zとは「240Z」以外は鈍足で鈍重なクルマの印象しかない。。。

特に排ガス規制が厳しくなって、SUツゥインカブレーションが使えなくなって、初期の電子制御燃料噴射になってからは 悲惨 というしかなかった。

実際にL20EのS30Zに乗った事のある人なら分かるが(現代では希少な経験だろうが・・・)、いくら踏んずけても加速を始めない、ようやく元気に回り始めても、一回回転がドロップすると、もういけない・・・ギアをダウンしようが、エアコンを切ろうが、エンヂンの勢いが戻るまで本当に歯がゆい思いをする。

これがL24を積んだ「240Z」だったら


(画像はGノーズ無しの240Z-L)

本当にこれが同じ「L型」と思うくらい闊達で、まさにグランドツゥリングの面持ちになっていたから不思議だ。

古いカーグラをひっくり返すと、1970年2月号にちょうど「240ZG」のロードテストの結果が出ていた。

最高速192.52Km/h、0-400m 15.5sec

現代の目から見れば、ささやかな結果だが、当時はまったく凄いクルマが出たもんだ!と驚き憧れたモンだ。
ちなみにGノーズ付きと、ノーズ無しでは100Km/hを超えてからのクルマの挙動も違っていて、ノーズ無しだと、フロントがどんどん浮く様な感じがして安定感が損なわれるが、Gノーズがあると、どんどん路面に吸い付くような感じとなり飛ばした時の安定感が全然違った記憶がある。
ただGノーズが付くと市街地で夏で渋滞となると、水温がどんどん上がって今にもオーヴァーヒートしそうなくらい水温が上がってしまう。L型のエンヂンは、インテークとエキゾーストが同じ側にあるので(まぁ俗に言う ターンフローですな)、エンヂンルームの温度が上がると、キャブの燃料が高温になって途端に機嫌が悪くなり、最悪止まってしまう事もあった。
僕は、チェーリーの電動ファンを移植して強制的に冷やすようにしていたので、大丈夫だったが、大方のGノーズつきZのオーナーは、ボンネットが後ろ開き


(画像はZ432 矢印はバッテリーの位置を示している)

である事を利用して、市街地で速度が遅い時には、オープナーを引いて、ボンっとボンネットを中途半端に開けて空気の出入りをよくしてオーヴァーヒートを防止していた。

さて240Zは、なかなか元気なクルマだったという事は分かったが、じゃぁL20搭載、特に悲惨だったと言われる「L20E」のZはというと、これも昔のカーグラを紐解くと。。。

1976年1月号
最高速175Km/h、0-400m 17.46sec

もはや末期の排気ガス対策で一番苦しかった
1976年11月号
最高速167.44Km/h、0-400m 18.14sec

と惨憺たる結果であった。。。

まぁ、この頃の国産車はどれも公害対策で、軒並み酷い動力性能であった事は事実だが、日産のL20Eは輪を掛けて酷いエンヂンであった。

それでも、どんなに遅くなろうがZは憧れのクルマで、スポーツカーと言えば「Z」と誰もが疑う事無く答えていた。

そんなZが、ようやくその流麗なエクステリアに見合う動力性能を取り戻すのは、1978年8月に登場したS130ZのL28Eを搭載した280Zの登場まで待たなくてはならなかった。

初代のF30レパードにしろ、このS30Zにしろ、L20Eしか持っていない日産には、まったく苦しい時代であったに違いない。

真紅 !初代レパードにあった真っ赤な内装・・・
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/153803/

そして、僕達日産ファンにとっても、たかが2ヴァルヴでしかないトヨタのツゥインキャムが憎くて恨めしいと思った時代でもあった。

S30Zは、持たざる日産のある意味象徴的なクルマだったのかもしれない・・と思い起こされるのだった。。


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Posted at 2008/04/12 00:37:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | フェアレディ
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「終局 未来は何処へ「カレスト座間」の今。 http://cvw.jp/1FxAa
何シテル?   05/28 05:13
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...
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