今から5年前の今日、彼女は僕の家へとやって来た。
キラキラと輝く美しい群青のボディカラーは、天気や時間によって、濃紺の青から、強い光を反射して真夏の海のような明度の高いブルーまで、彼女は姿形だけではなく、そのボディカラーでも僕のハートを鷲づかみしてしまっていた。
この日から、彼女との濃密な時間が始まった。
そして、彼女が僕の元にやって来て、ちょうど5年目の今日、彼女との最後の時を迎える事になった。
決してきらびやかではなく、凛としたシンプルだけど機能美に満ちたコクピトが、何時ものように僕を迎えてくれた。
何時ものように、クルマの周りを一回りして、ドアを開けた瞬間、よいよ最後なんだ・・という現実がヒシヒシと僕に迫って来た。
いつもは、早く乗りたい、早く彼女と走りたいという衝動にかられる瞬間も、このシートに座ったら終わりの始まりなんだという気持ちで、初めて座る事に躊躇してしまった。
その瞬間、彼女が優しくささやいた気がした。 「さぁ、行きましょう」 と。
新しいオーナーの為に新しいデータをレーダにインストールして、ナビとレコーダーの記憶を消した。
次に乗るであろうオーナーの為に、レーダーのデータを最新にアップデートし、自宅データや走行軌跡、ドライブレコーダーの走行データをリセットした。
これで彼女との思い出が全て消されてしまった。
改めて前を向くと、いつものシンプルで無駄のない素顔の彼女の姿がそこにあった。
僕は一瞬ためらったが、静かにスタートボタンを押した。
何時ものように、何事もない、なかったように彼女の心臓は鼓動を始めた。
いつもと同じ道路なのに、ひとつひとつの景色や路面の様子がハートに響く。
クルマを動かし始める。
その瞬間から、今日の彼女のご機嫌や体調が分かる。
「今日は、少し重いなぁ。」などと話しかけながら、最後の30分のデートを始めた。
最初は、ちょっと渋滞した国道から、大きな排気量のストレイトシックスの心臓は、ハイウェイに合わせられたギアレシオとも相まって、ちょっと苦手な部分だ。
そのうち、郊外へと進むと、道路の渋滞は緩和され、バイパスに入ると一気にアベレイジが上がった。その間、無意味にシフトダウンやアップを繰り返して、彼女の鼓動を楽しんだ。
バイパスの眼前がクリアーになった。
僕は右足に渾身の力を込めてガスペダルを踏み込んだ。
彼女の美しいイーブンファイアの鼓動が静かなキャビンに静かに伝わった。
気持ちが良い。
路面の様子がスティアリングにコツコッツと伝わる。
長い長いバイパスも、そうして彼女との会話を楽しんでいるとあっという間に終わり、目的地へと着いてしまった。
今日の30分は本当に短かった。ショップに着くと、彼女をしずかに横付けした。
彼女の新しい嫁ぎ先を紹介してくれたショップに着いた。あぁ、これで本当に最後なんだ・・・
彼女をショップの前に止め、僕はショップの社長にコンタクトを取った。
改めて彼女を眺めてみる。姿形も美しいが、早春の光に照らされたルマンブルーがキラキラと輝いて美しい。
もう一度、彼女の姿を目に焼き付けようと、真横に行って見る。
春近い柔らかい日差しに、彼女の群青のボディカラーはキラキラ輝いて一層の美しさを放っていた。
いい人にもらわれなよ。
それから、色々な手続きを進め、最後に社長が、僕を助手席に乗せて、本当の最後のデートを楽しませてくれた。
そんな至福の時間はあっという間だ。
短い、欧州車独特の響きの良い短いクラクションを鳴らし、彼女は僕の目の前から去っていった。
改めて彼女の走る姿を見て、その美しさにしばらく姿が見えなくなるまで姿を追ってしまった。
最後の彼女の後姿を見る。やはり彼女は疾走する姿が美しい。
彼女との、甘くも、はかない5年目の早春の1日が終わってしまった。
ありがとう。
君は本当に素敵なレディだ。新しいオーナーにもきっと気に入ってもらえるハズだよ。
さようなら。
僕は声にならない心の声で彼女を見送った。周りは、いつもの足早に過ぎる多くの人たちで溢れていた。
夕方近くだというのに、今日はなんだか、余り肌寒くないような気がした。春が、そこまでやって来ているって感じた2月の1日の終わりだった。
Posted at 2017/02/26 11:11:40 | |
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