知性と理性のクルマ・・スカイラインを差してそういった評論家が居たが。
一見、冷たい機械であるクルマに魂を込めて、ドライバーと語り合えるクルマを目指したスカイラインだが、そこにはドライヴァーの利便性という事にも注力されていた。
必然的にアイディア装備と言えるような装備も数多く存在して、それが日本で始めて・・・といわれる装備も数多く存在する。
TOP画像は、初代スカイラインALSI-1がマイナーして登場したALSI-Ⅱ型だが、そこでも日本初の装備が装着されていた。
今ではまったく何のこと無い「4灯式ヘッドライト」がそうであった。
これでそれまで「暗い」と言われ続けていた国産車の中でもスカイラインは明るい・・と評判になった。
さらに・・・・このALSI-Ⅱ型からマイナーされて追加された「スカイライン・スーパー」では・・・
国産車で初めて、グリルの中にヘッドライトを装着したモデルが登場した。
ちなみに、この「スカイライン・スーパー」が後に「グロリア」に発展した事は意外に知られていない事実である。
さてさてハナシを戻すが、時代は変わって「ケンメリ」にも国産車とか世界初の装備がテンコ盛りなのであった。
まずは
「トランクオープナー」だ。
開発の当初は、単純にチューブの中にワイヤーを通したモノであったが、これがダメダメで。
ドライヴァーズシートからトランクまでの距離が長く、とにかくワイヤーとチューブの抵抗が大きく人間の手ではワイヤーがびくとも動かないのであった。
それで歯車やテコを利用した
「倍力装置」を付加したりしたが・・・抵抗が大きいワイヤーは、伸び易く切れやすい、とても実用に耐えれるもではなかった。
とうとう開発も行き詰ったかと思われた時、
櫻井 は会社からの帰り道、伊勢丹デパートの台所用品の売り場へふらりと寄ってみた。
台所用品は、道具を使い慣れていなく、さらに力の弱い女性が使う事を前提にしているのでシンプルで使いよい物が多いと
櫻井 は言う。
そこで
櫻井 が見たものは。。焦げ付かないフライパン・・・「テフロン加工」であった。
「そうだチューブにテフロン加工したら・・」
早速試作品ができて、スタッフの女性がドライヴァーシーからレヴァーを引くと・・・
「軽々とトランクが開いた」
社内で発売前の社長初め重役たちのプレゼンテーションで・・・
ドライヴァーズシート横のレヴァーを見つけた当時の社長が櫻井に聞いた。
「櫻井、これは何のレヴァーだ?」
「トランクを開ける魔法のレヴァーです!?」
「こんなに運転席から距離があるのにトランクが開くものか!」冗談もほどほどにしろ・・と言いかけた時、櫻井は「まぁ、レバーを引いてみて下さい」
しぶしぶレヴァーを引くと・・・
「バタンッ!」
いとも簡単にトランクが開き
「ほ・ほ・うこれは良いもんだ。」
と言ったきり社長は何も言わなくなった。
後にソアラの開発主担になったトヨタの某氏は、ケンメリ発売後、トヨタ重役に呼ばれた事を後のカー・オブ・ザ・イヤーの時に
櫻井 に告白した。
「なんでいつも櫻井ばかりに便利なモノを作らせるのだ!?こんな単純なモノがなぜ、我が社でできないんだ?」と。
困りましたよ櫻井さん・・・と。
さらにケンメリでは、画期的なアイテムが日本で始めて装着されることになった。
「アルミホイール」である。
昭和50年、神戸製鋼とスカイラインのスタッフが共同で開発したものがそうだ。
コの字が連続した凝ったデザインで、強度的にも重量的にも当時は市販品を大きく驚愕させたモノだった。
当時、
櫻井 は自動車協会のホイール部門の要職であり、その立場を利用して運輸省に強く働きかけて実現させたものだった。
この
櫻井 の強い働きかけが無ければ、アルミホイールの純正化や車検での対応は、ずいぶん遅くなっていたに違いない。
しかし、アルミホイールを履いただけで車検に通らない・・昔はホイールどころか、基本的には純正以外はNGというのが当たり前だったのだ。。(閑話休題)
その他にもオーディオ好きの櫻井らしいジャパンでの「ダイヴァーシティFMシステム」や、スキーが好きだった事から思いついた「リヤワイパー」もスカイラインが最初に装着した装備だった。。
常に自分で運転して、そこから新しいモノやドライヴァーの疲労を軽減する装備を装着し続けてきたスカイライン。。。
速さや運動性能などばかりがクローズアップされるスカイライン。
しかし、それだけでない、こういったドライヴァーに優しい装備が陰になりながらも、スカイラインの人気をかさ上げした事も、スカイラインの人気を支えた忘れてならない要因だろう。
Posted at 2005/11/27 20:26:57 | |
トラックバック(0) |
スカイライン | クルマ