大震災の後、そしてガソリン供給状態の悪化、計画停電による交通信号の停止・・・等などで開催が危ぶまれていた「カレ定」ことカレスト座間定例会が、なんとか開催に漕ぎ着けた。
まぁ、集まれるメンバーだけ気軽に集まろう・・・という感じなので、台数は少ないだろうと思っていた。
果たせるかな午前中は
震災後の混乱が収まりつつあるとは言え、まだまだ通勤なので大変な状況の中の再開なので会えた喜びもひとしお。
僕を含めて四台が集まったのみ。それでも、通勤のルートが近いメンバーばかりだったので、急な電車の運休や、間引き運転による殺人的な混雑のハナシなどで盛り上がった。
抜ける様な青空なんだが、北風が強く、そして寒風だったので、たまらずカレスト店内へ避難。
店内は電気の節約の為に、照明が間引きされ、若干暗い雰囲気だが、歴代の日産車などが展示されて、歩くだけでも飽きないものだ。
その中で僕の目を惹いたのが、1950年式(昭和25年)ダットサントラック4146型の消防車だ。記憶が正しければ全長は3mちょっと、全幅なんて1.4mくらいしかなかったと思う。それでも狭い住宅地や、山間部の日本の道を、そのコンパクトなサイズと、900cc満たない小さな排気量ながら、意外に低速トルクの太い、サイドヴァルヴのエンヂンで活躍している様子を見た事がある。
最近まで意外に生き残っていたりする。地域の人たちがお金を出し合って買ったから・・・本当に大事に使われていたのだ。
結構、最近まで地方の消防団などで大切に使われていたのだ。
下回りを覗くと、横置きリーフリヂットのフロントサスが覗いていたが、グリスポイントが多数あって
携帯のカメラなので解像度が悪く恐縮だが。グリスポイントが多数見られる。昭和40年代初頭まで日本車はどれもそうだったのだ。
それだけでも、日本車の進歩を感じられずには居られなかった。当時は、ガソリンスタンドに入ると、下回りのグリス入れましょうか?と良く言われたものだ。。。。それ位、どのクルマもグリスを入れるポイントがたくさんあったのだが、部品の精度の向上と、材質の向上で昔話になったのだ。
店内をひとまわりした後、一時半を過ぎたので、いつもの
闘牛 で昼食を取っていると、
お杉さん も登場。涙涙の復活劇を遂げた、パルサーGTI-Rで、しかも仮ナンバーでの登場だったものだから、もう大変な人だかりになった。
このオイルの滲みは大丈夫か?この配線は何なんだ?カプラー外れているぞ!と暖かい!?声が飛び交う。。(笑)
そうこうしている間にもメンバーが増え、僕が帰る頃には、TOP画像のくらいのメンバーが集まった。
地震直後の話、通勤のハナシ、そこでみた、我々より年長の人達のマナーの悪さ・・・など、今回は、何時もと違った話題で盛り上がった。
まだまだ、震災の地域では大変な生活を送っているだろう、自分たちに何が出来るのか?そんな話でもケンケンガクガクとした。
電気を出来るだけ使わないようにする、義捐金や、救援物資で出来る事がないかなど。
関東では、訳の分らない買占めもずいぶん減ったが、今度は放射線問題で水への注目が増している。
一体何時になったら、皆が、クルマを軸とした趣味を声高に共有できるのだろうか・・・
そのためにも、小さな事でも構わないから、一人一人が自覚をもって生活をしなければ、気の置けない仲間と再会して、膝を交えて話をしてさらに、そう感じた次第だ。
4月になったら・・・
もっと暖かくなって、状況が好転する事を祈るばかりである。
参加された皆さん、お疲れ様。そして、新しい日本の為にできる事をやってっ行きましょう。
Posted at 2011/03/27 15:12:08 | |
トラックバック(1) |
クルマ | クルマ