真面目一本槍で、そのくせ成績の振るわないお兄さんとはまったくちがって、まったく自由な発想で、こんなクルマを造りたいの一心で作られた、「かわいい鈴」事「ベレット」は、1963年にまず、2・4ドアセダンで歴史は始まった。
小さなボディだったが、広いグラスエリアと開放的なインパネで、実に気持ちの良いファミリーカーだった。
しかし、そこは技術者の夢を満載して作られたクルマ。中味は当時としては半端じゃあない機構が満載されていた。
まずは板バネが主流であった国産車の中で、FRでありながらフロント「ダブルウィッシュボーン」に、リヤは「ダイアゴナル・スイングアクスル」という実に個性的なサスペンションで四輪独立懸架を実現させていた。
さらにスティアリングも、ラックアンドピニオンで、それまでのゴムを捩じった様なフィーリングだったR&Bが多かった国産車の中で、スティアリングを回せば、回した瞬間に車体が反応する応答性の良さで、「ハンドルが敏感すぎて疲れる」とまで言われていた。
さらにギアボックスも、本当にカチカチと決る気持ちの良いモンだった。
あくまでも基本はファミリーカー。スポーティな面ばかり強調されているベレットだが、これが本道なのだ。
技術者の夢を満載したファミリーカーも、そうした先進的な機構と、クイックで過激なまでの操縦性から、スポーツモデルの登場が切望され、誕生から程なく1964年にクウペスタイルの、国産初の
「GT」 が登場した。
そして1967年には、幻と言われるファーストバックのベレットも加わり、ますますスポーティなイメージが定着し
1967年から69年の約二年間、そして受注生産だったので生産数は限りなく少ないのが「ファーストバック」モデルだ。
そして、後世にベレットのイメージは「こうだ!」と植えつけてしまった
艶消しの黒ボンネット、二分割のフォグがインサートされたフロントフェース。これがあたかもベレットの本道の様に思われてしまった。
「GTtypeR」 が1969年に登場した。
一般的には 「ベレットGT-R」 と言われる事が多いが、実車のエンブレムを見るとハッキリと
「GT type R」 となっているので、やはり 「GT-R」 ではなく、「GT type R」 というのが正しいと今でも僕は思っている・・・閑話休題。
この 「GT type R」 なんだが、足回りが過激なほど締め上げられ、例えばバネレートも標準の1600GTに比べて、
フロント 3.5Kg/mm⇒5.3Kg/mm
リ ヤ 0.94Kg/mm⇒3.1Kg/mm
に変更され、さらにスイングアクスル特有の、スタビライザー兼用のリーフスプリングも1枚から3枚に増やされ、トレッドも10mm広げられた。
サーキットや峠での活躍は、語り尽くされた感があるので割愛するが、この強烈な個性で、ベレットは一気にスポーツ一転倒のモデルとして印象付けられたと言っても過言では無いだろう。
この 「GT type R」 だが1973年まで造られ、その個体数は1,400台とも1,500台とも言われ、数の少なさからも伝説を呼ぶ事になった。
こうしてベレットは、類稀なるスポーツモデルとして後世に語り継がれる事になったが、実は二大メーカーには適わなかったが、大いに輸出されていた事は意外に知られていない事実なのだ。
実は結構な数が海を渡り、日本以上に海外でも人気がある。しかし、懐かしいですな「いすゞ」のマークがねぇ。。
海外にも多く輸出され、そしてこうしたGTたちの陰になってしまっていたが、セダンも脈々と改良、マイナーが続けられ、後年まで1.8Lのデーゼルがラインナップされ国産車でのディーゼル車としての歴史も刻んでいたのだ。
数々のマイナーを繰り返し、覚えきれ無いほどの排気量とグレードを有したベレットだったが、小さなメーカーというハンディもあって、年代が進むたびに販売が苦しくなってきてしまった。
そして、ジェミニがそうであったように、本来ファミリーカーとしての素養よりも、スポーティなモデルばかりが目立つようになって、最後には脈略を絶つ事になってしまった。
1973年、十年という長きに渡って造り続けられたベレットも終焉を迎えた。
そして現代なんだが、鈴鹿での活躍や、オレンヂ色に艶消しの黒のボンネットのベレットが語られる事はあっても、本来の明るく開放的で愛らしい形のセダンの事はなかなか語られないのは、正直寂しい気がする。
確かに、スカイラインGTやブルーバードSSSの好敵手であったが、それと同等にグランツーリスモであったし、スーパー・スポーツ・
セダン であった事を皆さんには覚えていて欲しいと思うのだ。
ベレット、かわいい鈴というクルマの事を、スポーツ意外でも忘れないで欲しいと僕は思うのだ。
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Posted at
2010/07/03 19:34:22