
昨日のブログで水平対向エンジンについて書きましたが、本日のネタも水平対向エンジンについてです。
前ブログでフォルクスワーゲン・ビートル誕生から始まった“水平対向エンジンの歴史”的な事を書きました。
“続” と付けるからには、前ブログで紹介した車以外の話題にしないといけないのですが……
皆さんは
それ以外の水平対向エンジン搭載車って知っていますか?
あ、バイクじゃないですよ!?
車には水平対向エンジンを搭載しないBMWやHONDAも、バイクには水平対向エンジン搭載車が有るんですよねー。
ただ、私はバイクに関しては全く詳しくないので多くを語れません。
じゃあ、何を語るつもりなのか?
水平対向エンジンの採用例としては、航空機用エンジンとしての採用例があるようですが、これまた興味の範疇外なので全く語れません。
そう、私には、自動車用以外の知識など無いに等しいのです。(汗)
前ブログがフォルクスワーゲン・ビートル誕生以降の話なので、今回はビートル誕生以前の話を書きたいと思います。
前ブログで取り上げた、“ビートル”こと フォルクスワーゲン・タイプ1ですが、プロトタイプ車の完成が1938年で、実際に生産が始まったのは1941年でした。
ただ、第二次大戦により軍用車両の生産が優先された為、タイプ1は軍人や要人向けに生産されたに過ぎず、本格的な生産は戦後(1945年)になってからでした。
そんなビートルよりも一足早く生産されていた水平対向エンジン搭載車があった事を、皆さんはご存じでしょうか?
って言うか、既にタイトル画像に出しちゃっていますけどね。(笑)
その車こそ
タトラT97 でした。
えっ、
あの“タトラT97”をご存じない!?
まぁ、そりゃそうですよね。
“タトラ”なんて自動車メーカーなんて聞いた事が無い人が殆どでしょう。
“タトラ”は、チェコの自動車メーカーです。
現在は乗用車生産から撤退し、大型トラックなどを作っておりますが、かつては乗用車を生産していました。(私が自動車に興味を持った頃もまだ乗用車を作っていた)
そもそも、チェコ(当時はチェコスロバキア)は、東西冷戦で東側の一員となってしまった為、技術的に西側メーカーに後れを取ってしまいましたが、戦前は結構な工業国で、戦後も旧東欧諸国の中では工業技術が進んでいた国でした。
東西自由化当時、東ドイツの
“トラバント”が有名になりましたが、技術的にはチェコスロバキアの
“タトラ”や
“シュコダ”の方が上だったんです。
トラバント
とは言っても、閉ざされた東欧の技術では西欧のメーカーに適う訳もなく、
“タトラ”は乗用車から撤退、
“シュコダ”はフォルクスワーゲン傘下となりました。
イカン、このままではチェコの自動車メーカーの話になってしまう!(汗)
話を
“タトラT97”に戻します。
元々、タトラは1850年に馬車メーカーとして創業された歴史あるメーカーで、1897年には自動車製造を開始、1919年に
“タトラ”ブランドの車が登場しています。
1920年代には“SOHCエンジン”や、“四輪独立懸架” など、当時の最先端の車を生産していました。
1930年代になると、“流線形”、“モノコック” など、戦前の車とは思えない車
“タトラT77”が登場しました。
そして、この車が採用したのがRR(リアエンジン・リアドライブ)であり、空冷エンジンでした。(但し、水平対向エンジンではなく、V8でしたが)
改良型のT77aでは 3,380ccから70HPを発揮し、空力に優れたボディを持つことから最高速度は140km/hに達しました。
うーん、中々
“タトラT97”に辿り着かないぞ。(汗)
1800kgと重量級だったT77aを軽量化した T87は、全長・ホイールベースの短縮なども行った為、1370kgまで軽量化されていました。
空力ボディはアンダーカバーまで備え、最高速度は160km/hにまで達しました。
T87は、多くはチェコ国内で販売されたものの、ドイツなどにも輸出され、最先端の高性能流線型車として注目されたそうです。
1937年、タトラは V8搭載のT87よりもコンパクトな車、T97を登場させました。
T77から続く先進性を備えつつ、リアには大きなV8から、コンパクトな水平対向4気筒エンジンが搭載されました。
RR、空冷、水平対向エンジン……まんまビートルですね。
いや、ビートルがOHVだったのに対して、T97は既にOHCを採用していました。
ビートルのプロトタイプ(1938年)よりも先に、ビートルより進んだ車として登場したT97でしたが、1939年には製造中止となってしまいました。
これは、チェコスロバキアが1939年にドイツに併合されてしまった為、ビートルとコンセプトが酷似しているT97が、ドイツ側から製造中止を命じられてしまったと言われています。(T87は、ドイツ併合後も生産継続を許された)
このような因縁がある為でしょうが、ビートルに関しては
『タトラ模倣説』なるものもあるようです。
歴史的名車として2000万台を優に超える(2152万9464台)生産量を誇るビートルに対し、T97は わずか508台で製造中止となってしまったのですが、もしチェコスロバキアがドイツに併合されていなければ、自動車の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
もしかしたら、世界的名車となったのは
“タトラT97”の方だったかもしれない。
あ、でも、それだとポルシェも生まれていなかったかもしれないなぁ……。
やっぱり、タトラが乗用車から撤退し、スポーツカーメーカーのポルシェが生まれる、今の世界が良いです。(笑)
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Posted at
2021/08/14 00:03:39