連載ブログ「グループB」ですが、一旦は『
グループBの終焉』にて最終回としました。
ただ、グループBの個々の車両についてはあまり触れられていません。
なので、もう少し続けたいと思います。
まぁ、一旦は最終回で終わらせているので、延長線って事で。(笑)
『グループBの終焉』でも述べた通り、グループB車両はミッドシップ+4WDは当たり前となり、どんどん過激になっていきましたが、当初は 従来技術を踏襲した グループ4からの ”延長線上の車”でした。
象徴的な車が
ランチア ラリー 037です。
かつて ストラトスで、ミッドシップ車両でWRCを制したランチアは、グループBでも 再びミッドシップで挑む事になりました。
それが、
ランチア ラリー でした。
ランチアにしてみれば、4WD車両の経験は無く、モノになるか分からない未知の技術より、ノウハウを持つミッドシップ車両の方が勝算があると思ったのでしょう。
また、ストラトスの頃は あまりにも量産車とかけ離れていた為、マーケティング上のうまみが無かったものの、今回はベース車両に出来る量産車もありました。
そのベース車両と言うのが、
ランチア ベータ モンテカルロ なのですが…
なんか、だいぶ雰囲気が違いますね…。(汗)
そもそも、ラリー037はファストバックなのですが、モンテカルロはトンネルバックです。
しかも、特徴的な横に開くエンジンフードを開けると、そこにあるエンジンは横置き…
ちなみに、ラリー037は縦置きです。
まぁ、早い話が 見た目が似ているだけで、全く別物の車です。(汗)
ランチア ラリー 037がデビューした1982年は、まだグループ4との混走だった為、ラリー 037は、グループ4のアウディ クワトロと戦う事になりました。
ただ、その年のドライバータイトルは、ミッドシップのランチア ラリーでも、4WDのアウディ クワトロでもなく、FRのオペル アスコナを駆るW.ロールが獲得しました。
翌1983年、WRCはグループBで統一され、ディフェンディング チャンピオンのオペルが選んだマシンは、やはりFRの
オペル・マンタ400 でした。
ただ、グループB車両にマンタを選択した理由は、去年まで走らせていたアスコナがモデルチェンジしてFF化された為であり、戦力アップを狙った為ではありませんでした。
それ故、勝てるマシンが欲しいドライバーからの評判は良くなく、噂では「(同じGMグループの)いすゞ ジェミニZZ/Rを使ってくれ」と言った選手もいたらしい…。
さて、ここからは国産メーカーの車を。
トヨタ セリカ GT-TS
当時、トヨタは西ドイツのトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)を介してWRCを戦っていました。
確か、この世代のセリカから本格的にWRCに参戦したのですが、かと言ってシリーズタイトルを狙うほどではありませんでした。
ただ、特定のイベントに勝ちに行く感じの戦い方で、事実、サファリラリー3連覇を始め、アイボリーコーストなど、アフリカでのラリーで強さを誇りました。
ところで、セリカって こんなフロントマスクしてましたっけ?
実はこのGT-TSという車、グループBのレギュレーションで決められたホモロゲモデル 200台の段階では、ほぼ量産車そのままの車でした。
競技車両(エボリューションモデル)を作るにあたり、変更不可能な箇所に変更を加えたのみ。
ちなみに、具体的な変更箇所は以下。
・排気量アップ(1770cc → 1791cc)
ターボ係数を掛けたレギュレーション上のクラス区分を変える為の処置。
(競技車両は2090ccまでアップ)
・リアサスペンション変更(セミトレーリングアーム → 4リンクリジット)
トラブル時の整備性(交換の容易性)を考慮した形式変更
・樹脂製フロントフェンダーの採用
・サイドモールのレス化
ラリー用のホモロゲモデルなのに、カタログモデルよりチープな感じですね。
まぁ、実際にラリーに出る エボリューションモデル は20台作れば良いので、ホモロゲモデルの段階でフルスペックにする必要はないのですが……ある意味、(当時の)トヨタらしい作り方でした。(汗)
その辺を考えずに、ホモロゲモデルの段階でガチなマシンを作ってしまったのが日産です。
日産 240RS
見た目は、当時のシルビア(もしくは ガゼール)ですが、車名にシルビアは付かず、単に 240RS です。
スカイラインRSにも搭載された FJ20をベースに排気量を2.4ℓまでアップした FJ24を搭載。
ただ、FJ20から構造を変更していて、実際には別物のエンジンだった模様。
開口部を拡げたグリルや、オーバーフェンダーもホモロゲモデルから標準でした。
その為、ホモロゲモデルの段階で、競技車両そのまんまでした。(汗)
完全に競技用の車、それも海外ラリー用の車と考えて作られた為、一般ユースでの販売は考えていませんでした。
エボリューションモデルを20台作るだけで良かったのに、ホモロゲモデル200台……売れたんですかねぇ?
まぁ、(当時の)日産らしいと言えば日産らしい話ですが。(汗)
グループ4からの ”延長線上の車”と言えば、上記の車以外にも
ルノー 5 マキシ ターボなんて車もありました。
ただ、いずれの車たちも、この後 登場してくる ミッドシップ+4WD のモンスターマシンには太刀打ち出来ず、グループB時代の主役にはなれませんでした。
グループB時代の主役たちに関しては…
ーつづくー
Posted at 2024/04/13 03:08:44 | |
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