
昨日、日産を取り上げたので、今日はトヨタの名車たちを取り上げてみようと思った。
思ったって、なぜ過去形か?
トヨタって売れた車はいくらでも思いつくんだけど、車好きにとって
「いい車だったなぁ」
と思わせる車が少ないのですよ。
無いとは言わないけどね。
走り屋ご用達の車はトヨタ車にだってそれこそゴロゴロある。
だが、同じ車に乗って20年、30年、と過ごしたいような、言い方は悪いが「車バカ」が、心底惚れ込む車って意外と少ないよね。
まあ、どれだけ思いつくかだけど、やってみよう。
(一応、名車度を、いつまでも乗っていたい度で、A、B、Cの3ランクに分けてみた)
トヨタ・スポーツ800(1965年)

当時トヨタが生産していた最小のモデルであるパブリカのエンジンとシャシを流用して開発された。
非力なパブリカ用エンジンでありながら、超軽量と空気抵抗の少なさで優れた性能を発揮した。
まー、同時期のホンダS800とは真逆の考えの車といえる。
ちなみに、超軽量と空気抵抗の少なさは、今の世の中でもエコカーとして充分通用する燃費性能を誇る。
なお、エスハチと略すと一般にホンダS800の事になるので注意。愛称は「ヨタハチ」。
名車度:A
トヨタ2000GT(1967年)

スポーツカーを持たなかったトヨタ(ヨタハチも開発中)がイメージリーダーカーとなるべく、1964年9月から開発に着手。
開発途上で、ヤマハからの技術供与を受ける事になる。
よく勘違いされるのは、ヤマハと日産が共同開発していた高性能スポーツカー
「A550X」の開発が頓挫した車がトヨタ2000GTのベースと言う話だが、ヤマハと日産の関係が解消される前からトヨタ側の開発は既に始まっており別物と言えよう。

但し、「A550X」もヤマハ主導で開発が進められていたので、「A550X」に盛り込もうとしていた技術が2000GTに生かされたものはあるかもしれない。
また、ヤマハはヤマハでも楽器メーカーの方の技術も2000GTには生かされており、インストルメントパネルとステアリングホイールの材料供給・加工を担当している。
贅を尽くしたモデルは当然のように製造すればするだけ赤字となり、イメージリーダーカーとして充分な役割を果たしたとの判断から、1970年で生産は終了。試作車を含め、337台が生産された。
果たして、今、現存する2000GTは何台なんでしょうね。
名車度:A
TA20系 セリカ(1970年)

いわゆるダルマセリカです。
国産初のスペシャリティーカーという触れ込みで登場しました。
ま、スポーツカーとスペシャリティーカーの違いは何ぞやと言いたい気もしますが…。
セリカで画期的、というかトヨタの凄いところは、同じコンポーネンツを使って「カリーナ」という別の車まで同時に作っちゃった事です。
カリーナはカリーナでスペシャリティーカーのセリカと共通部品を使っている事をちゃっかりと生かして「足のいいやつ」のキャッチコピーを使ってましたな。
登場時は2T-G(1.6ℓ)、後に18R-G(2.0ℓ)の2つのDOHCエンジンを積んでました。
もっとも、モデルライフ途中で排ガス規制となりパワーダウンを余儀なくされましたが。
個人的にはガキの頃、LB2000GTが大好きでしたが、いまだに乗り続けている人は、ハコスカとかと比べると少ないよね。
そういうわけで、名車度:B
TE27 レビン・トレノ(1972年)

2代目カローラ・スプリンターのクーペモデルに2T-G(1.6ℓ)を搭載したホットモデル。
通常のカローラ・スプリンターと区別する為に、それぞれレビン・トレノのサブネームが与えられた。
もともとセリカに積まれていた2T-Gを小型・軽量のカローラ系に搭載しただけに、相当やんちゃなモデル…の筈。
(すみません、古過ぎてわかりません)
名車度:B
AE86 レビン・トレノ(1983年)

いまだに人気のあるAE86だが、この車はある意味過渡期に作られた車とも言えた。
先代カローラは、他メーカーが主力セダンを次々とFF化したが、カローラは頑なにFRを守った。
トヨタはFF化に慎重で、ターセル・コルサ(1978年)でFFにトライ、その際、通常のジアコーサ式は採用せず、エンジンを縦置き、さらにその下にデフがある2階建て構造を採用。それだけFF化に慎重だった。
しかし、遂にトヨタもこの代のセダン系でジアコーサ式FFを採用。
だが、スポーツタイプにまでFFを採用する決断は出来ず、結局先代TE71のシャーシのキャリーオーバーでお茶を濁した。(その為、後輪のサスは5リンクリジッドと当時としても古臭い)
FFでスポーツ系が作れる事は、トヨタ自体がこの代のカローラで証明している。(AE82 カローラFX)

でも例え見劣りするサスペンションでもFRである事が大事だった。
次の代(AE92)がFF化する事によって、AE86は却って輝きを増し、いまだに乗り続けている人が多い。
名車度:B(今後Aになるかも)
GX70系 マークⅡ(1984年)

マークⅡだけでなく、チェイサー、クレスタを従えたマークⅡ3兄弟。
この3兄弟が名車? そう思った方もいらっしゃるでしょう。
でも、覚えていませんか? ハイソカー・ブーム。
その殆どがホワイトの車体で、内装はワインレッドにハーフレースのシートカバー。
販売台数は3兄弟でカローラを超えんばかりにバカ売れ。もっとも売れたのは4HTの方だけでしたが。(クレスタのみサッシュドアのセダンでしたが、ルーフラインの低いHT並みのスタイリングでした)
この車の成功によって、日産がR31スカイラインをハイソカーに仕立て上げようと血迷わせ、一時的に2ドアを廃止する暴挙に出たのでした。
販売上は大成功でしたが、いつまでも乗りたい車かと言うと…
名車度:C
AW11型 MR2(1984年)

国産車初のミッドシップカー。
しかし、まだまだスポーツカーを認め難い時期(2シーターはフェアレディZしかなかった)にあり、トヨタはMR2の事をミッドシップ・ランナバウトとしていた。
トヨタが何と言おうと、ミッドシップ・2シーター、スポーツカーでなくてなんだと言うのか?
でも、スポーツカーにしてはスタイリングにわくわく感が足りない気がする。
そして、肝心な性能がまた残念。
4A-Gを搭載したG が、1.5ℓ OHCのホンダ CR-Xに迫られ、CR-XにVTEC搭載のSiRが出ると歯が立たず。
マイナーチェンジでスーパーチャージャー搭載したけど、速いイメージはないなぁ。
WRCで幻に終わったGr.Sが日の目を見ていたら、印象も違ったでしょうけど。

名車度:C
Z10型 ソアラ(1981年)

パワフルな車といったら2.0ℓターボの145psだった頃、突然現れたソアラには2.8ℓ ツインカム 170psが搭載されていました。
170psそれもグロス表示ですから、今じゃ170psなんて大したことないですよね。
でも、当時は排ガス規制で牙を抜かれた車たちは100psそこそこ、ターボカーの145psで大騒ぎしていた頃に突然の170psですからショッキングな数字でした。
さらに、ソアラと言う車そのものの価格も非常に高価。
既にその傾向のあったハイソカー・ブームをも驚かせる価格帯でした。
でも、いるんですよね。高い物は良い物だって人が。
そういう人達に(も)売れて、ソアラはヒットしました。
でも、今思えば、ソアラが売れていなかったら、今でも国産車は2.0ℓ以下の5ナンバー車ばかりだったかもしれませんね。
名車度:C(貢献度はA)
ST160系 セリカGT-FOUR(1986年)

1985年、『流面形、発見さる。』というキャッチコピーで登場したST160系セリカ。
この代で遂にセリカもFF化された。
しかし、翌年にはフルタイム4WD化されたGT-FOURが登場。
2.0ℓターボの3S-GTEを搭載したGT-FOURは、トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)がラリーに投入。
1990年にカルロス・サインツの手によって日本車初のドライバーズタイトルを獲得することとなった。
(F1のトロロッソに参戦しているカルロス・サインツJrのおとっつぁんネ!)
日本車初の世界チャンピオン獲得した栄光ある車とはいえ、量産車としては、ランエボ・インプの争いに比べると…
名車度:B
SW20型 MR2(1989年)

先代が1.6ℓでアンダーパワーだったが、2代目は2.0ℓにグレードアップ。
セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEまで搭載。もう、アンダーパワーとは言わせない!
スタイリングも曲面を用いた、まるでミニフェラーリという感じだった。
ただ、セリカにGT-FOURがあり、さらにスープラもあったトヨタにあって、これぞトヨタのスポーツカーと言うにはいささか理由付けが弱いかな。
でも、それなりにパワーのあるミッドシップが欲しいとなったら、高価な欧州車以外はこの車しかない。
名車度:B
F10型 セルシオ(1989年)

当時、日米自動車摩擦により、日本による対米輸出の自主規制が行われていました。
そんな側面もあり、より高価な車で販売額を増やしたい各メーカーは、高級車開発を開始。
トヨタはアメリカに新たな販売チャンネル「レクサス」を立ち上げ、そこで販売される最高級車として
開発されたのが日本名セルシオである。
当時、カローラやシビックを売っていた日本車が高級車を作る? 多くの人は無理だと思っていたと思う。
しかし、出来上がった車は衝撃的だった。
トヨタは、開発に当たり、比類なき他を圧倒する静粛性や快適性、高品質を追求し、レクサスLS(セルシオ)を作り上げた。
それはレクサス・ショックと言われ米国メーカーはおろか、メルセデスの車作りにも影響を与えたのだった。
北米専用として開発されたレクサスLSだったが、バブル景気のなか、国内導入が決定。
高価格をよそに大ヒットした。
名車度:C(貢献度はA)
JZA80 スープラ(1993年)

この車の写真をネットで探したんですが、殆どノーマル車の写真がありませんでした。
そう、この車、チューニングカーのベース車として重宝されている車なんですよね。
中でも最高速チャレンジをするなら、最も安いベース車じゃないですかね。
私はあんまり見ないですが、湾岸○○○チャレンジなどの記事を載せている雑誌には、まず載ってます。
そして、世界的にこの車を有名にしたのは、映画「ワイルドスピード」だったと思います。
そんな訳で、写真はポール・ウォーカーの乗っていた車(のレプリカだろーな)。
ポール・ウォーカーよ安らかに。
名車度:B(程度のいい車はもう手に入らないだろうなー)
こうやって見ると、やっぱりトヨタ車は売れただけタマ数が豊富。
貴重な車という感覚が希薄ですね。
名車度Aは、ヨタハチと2000GTの2車種だけでした。
でも、きっとトヨタ車の中にも、自分にとっては「名車」という車がきっとあるでしょう。