
本日も、先週の「モントレー・カー・ウイーク」の話です。
カリフォルニア州モントレーで開催された、世界的クラシックカーイベント「第69回ぺブルビーチ・コンクール・デレガンス」に、「ランボルギーニ・ミウラ・クラス」が特別に設けられ、ミウラ 5台が参加しました。
この5台の中には、2015年に開設されたアウトモビリ・ランボルギーニのヘリテージ部門「ランボルギーニ・ポロストリコ」でレストアが行なわれた3台が含まれています。
その中でも、一際目立つ車がコレ。
ミウラSVRです。
シャシーNo.3781のこの一台は、1968年に ミウラS として生産された個体で、1974年にこの車を購入したドイツ人オーナーの希望によりファクトリーに戻され、ボブ・ウォレスが開発したレースカー「イオタ」のレプリカとしてミウラ SVRとして仕上げられました。
ちなみに、オリジナルのイオタ(シャシーNo.4683)は、イタリアの高速道路で事故を起こして炎上、廃車となってしまいました。
日本でスーパーカーブームが起きた昭和50年代には、既にオリジナルのイオタはこの世に存在していなかったのです。
スーパーカーブームの時にランボルギーニ・イオタとして紹介された車の中には、ランボルギーニのファクトリー製ではない、巷の改造車も含まれていましたが、その頃、一番有名だったのが上記のミウラSVRでした。
なので、スーパーカーブーマーにとっては、ミウラSVRこそがランボルギーニ・イオタだったのです。(という事で、ブログタイトルも『イオタ』としました)
このイオタ(ミウラSVR)は、今、日本人オーナーが所有しているとの事。
今年6月、ポロストリコにて「ミウラ SVR」のレストアが完了し、中山サーキットにてお披露目されています。
SVRのレストア完了の件、ブログに書こうと思って画像をダウンロードしておいたけど、やっと使えた。(笑)
実は、スーパーカーブーマーのタケラッタは、当時からこのイオタ(ミウラSVR)が大好きだったのです。
当時、スーパーカーの王者は、同じランボルギーニでも、シザースドアが特徴的なカウンタックでした。
しかし、当時の私は、その頃の少年たちが皆憧れたカウンタックはあんまり好きではありませんでした。(みんなが好きだと言うジャイアンツが嫌いだったり……天邪鬼だったんですねー)
ウェッジシェイプなカウンタックよりも、流麗な、フィオラヴァンティ(ピニンファリーナ)がデザインしたフェラーリの方が好きでした。
しかし、一番好きだったのは、フィオラヴァンティとは一味違う流麗なラインのランボルギーニ・ミウラだったのです。
しかし、ミウラとカウンタックのデザイナーが同じ人(マルチェロ・ガンディーニ)だってのは、当時は信じられませんでしたね。
カウンタック以後のガンディーニは、直線的なラインのデザインばかりだったので、もしかしてミウラは、ガンディーニの前にベルトーネのチーフデザイナーだったジウジアーロの置き土産なんじゃないか? なんて思ったものでした。
ちょっと話が逸れましたが、一番好きだったミウラのスペシャルバージョン(レース仕様)であるイオタ(ミウラSVR)は、ガキの頃から憧れの車だったのです。
そんなイオタ(ミウラSVR)を、以前、間近で見た事があります。
GT2を買ったばかりの頃、買えもしないのに GT3(997)にも興味を持ち、
実際に販売店まで見に行ったとき、その車は有りました。
あの時は、ポルシェ デビューしたばかりで、ある意味で怖いもの知らずでしたが、今じゃ、あのような超セレブな方々が行く店になんて、恐れ多くて行けません。
イオタ(ミウラSVR)を間近で見れた、良い思い出です。
でも、機会があれば、もう一度、見てみたいなー。(出来れば屋外で見てみたい)
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Lamborghini | 日記
Posted at
2019/08/22 22:45:49