
昨日のブログで、『
日産、株式時価総額でスバルに抜かれる』事について書きました。
この事実は、企業規模を考えただけでも衝撃的ではありましたが、富士重工(SUBARUになる前の社名は『富士重工業株式会社』)の歴史を知る者にとっては感慨深いものがありました。
富士重工は、かつて(1968年から1999年まで)は日産と資本提携をしていた時期がありました。
もちろん、当時の日産はトヨタと並ぶ2大メーカーであり、実質的に日産傘下にあったようなものでした。
ちょうど、トヨタとダイハツのような関係で、富士重工には日産系の軽自動車メーカーの顔があったり、日産車の委託生産を行っていたりしました。
この関係は、日産の経営不振で、日産が保有する富士重工株を売却して終わります。
この時に手放された富士重工株は、全株式をGMが購入するのですが、GMも業績悪化で富士重工株を手放す事になり、トヨタがその株の一部を購入。
2019年にはトヨタが出資比率を20%まで増加させて持分法適用会社となり、名実ともにトヨタグループ入りしました。
かつては日産と資本提携していた富士重工が、今やトヨタグループですからねぇ。
そんな、SUBARUですが、かつて倒産の危機を経験しており、その時は日産に(正確には日産OBに)助けられた過去がありました。
『
倒産の危機にあったスバルを救った「レガシィ」の奇跡』には、1990年に社長に就任した、川合勇氏についての記事がありました。
この頃のSUBARU(富士重工)については、私も
ブログで触れたことがありました。
この時の私は、初代レガシィ(BC/BF)のヒットによって倒産の危機を脱したと書いていたのですが……
実際は、初代レガシィは業績には然程貢献していなかったようなのです。
初代レガシィ、良いクルマで評判は大変良いものがあったのですが、その高コスト故に、売れても儲けが少ないクルマだったとの事。
コストに関しては、品質の低さもコストに影響を与えていました。
ここにメスを入れた川合氏によって、2代目レガシィは クレームが初代の1/5に激減したといいます。
コスト、品質というキーワードが出ると「トヨタ生産方式」という言葉が思い浮かびますが、日産OBである川合氏によって富士重工は救われたのでした。
日産OBに救われた富士重工(現SUBARU)が、今や株式時価総額で日産を上回っています。
そんな日産は、業績回復の為には、今期のうちに構造改革費用として巨額の損失を計上し、会社の膿を出し切るべきだと指摘する声が多くあります。
しかし、新社長の内田氏はそれが出来ず、ナンバー2のアシュワニ・グプタ・最高執行責任者(COO)も反対、賛成していたのは退社した関潤・元副COOだけだったようです。
今期の黒字に拘った結果、来期の業績回復も見込めなくなりつつあります。
日産には出来る人材もいる(いた)のにねぇ。
トロイカ体制で唯一の日産生え抜きだった関氏。
今の日産からは、沈む船から逃げ出すように『出来る人』が流出してしまっている気がします。
いやー、SUBARUは日産から離れて良かったですねー。
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SUBARU | 日記
Posted at
2020/02/15 22:57:58