
えー、ちょっと間が空いてしまいましたが、連載企画“トヨタ自動車物語”を再開致します。
タケラッタの少年期は、日本車はまだまだ欧米に追い付いたとは言えない感じで、メインの市場はあくまで国内市場でした。
輸出も S30 フェアレディZ やランドクルーザーなど、一部の車種がヒットしていましたが、まだまだ自動車大国と言えるような状態ではありませんでした。
この状況が変わったのがオイルショックです。
ガソリンの高騰によって、燃費の良い日本車が注目され、一気に輸出台数を(特にアメリカで)増やしていきました。
しかし、急激な輸出拡大は、日米間での貿易不均衡を生み出す結果となったのです。
当時の私の印象では、燃費のいい車と言ったら“ホンダ・シビック”でした。
しかし、その当時から、アメリカ人が考える日本車と言ったら “Toyota Car” だったんですよね。(もちろん、ホンダも売れていましたけど)
「日本と言えば何を思い浮かべる?」という問いに対し、アメリカ人が答えた('T'を発音しない)「トヨァ・カー」の回答にちょっとした衝撃を受けたのを覚えています。
この貿易不均衡に対し、事なかれ主義の日本政府は 日本の自動車メーカーに『対米輸出自主規制』という、"強制的な"自主規制(?)を課したのでした。
まぁ、米国車が売れないと貿易不均衡は解消しませんから、トヨタはGMの車を自ら売る事にしたりしましたがね。
おっと、話が脱線しそうだ。(汗)
台数が限られるとなると、一台当たりの利益を増やすしかありません。
国産メーカーは、安い小型車だけではなく、利益率の高い高級車の開発を始めました。
そして、各社が高級車ブランドを立ち上げる事にしたのです。
先陣を切ったのがホンダの「アキュラ」。
日産も「インフィニティ」で続き、実現はしませんでしたが マツダも「アマティ」ブランドの導入を画策していました。
そして、トヨタも 1989年に北米で「レクサス」ブランドを立ち上げたのです。
アキュラもインフィニティも商業的にはそれなりに成功しましたが、レクサスに関しては次元が違う結果となりました。
その品質や静粛性は、世界の高級車メーカーに衝撃を与えたのでした。(いわゆる「レクサス・ショック」です)
特にその影響が大きかったのがメルセデスです。
それまでのメルセデスと言えば、孤高の存在であり、決してユーザーを迎合する事なく「メルセデスの哲学を理解する人に買ってもらえればいい」という感じの車作りをしていました。(いわゆる「最善か無か」っていうヤツです)
しかし、レクサス登場以降のメルセデスは レクサスを意識して顧客の望む車作りへと変化していったのです。(その中には「コストダウン」も含まれており、1990年代後半のメルセデスはかなり残念な状況でした)
レクサスと言えば、前出のLS400(日本での初代セルシオ)が代表的な車種ではありますが、その他にも世界の自動車業界に多大な影響を与えた車が RX(ハリアー)です。
RXは、SUVという名称が定着する前(日本ではRVと言われていた頃)、四輪駆動車はオフロードを走る車と思われていた頃に、オンロードを走る都会派の車として登場したのです。
大ヒットを記録したRXは数多のフォロワーを生みました。
メルセデス、BMW、アウディが SUVをラインナップし、ポルシェ・カイエンの成功でさらに加速した SUVブームは、ベントレーやロールスロイスという超高級車メーカーから、マセラティやアストンマーティンというスポーツカーメーカー、果ては、スーパーカーメーカーのランボルギーニにもSUVが登場。
フェラーリやロータスまでSUVを送り出そうとしていますが、この流れは レクサスRXの成功から始まったものなのです。
なお、RXの成功はプレミアムSUVとしての話であり、都会派SUVとしては、RX以前に トヨタRAV-4が登場しており、こちらが元祖といえます。
レクサスは、世界中の高級車メーカーに一目置かれる存在となり、歴史が重要な意味を持つ高級車に確固たる地位を築き上げていきました。
ただ、最近は以前ほどの勢いが無くなっている気がしますね。
GSが消え、国内でも FFのESに取って代わられましたし、そもそも LS もかつてのセルシオの様に大ヒットはしていません。
って言うか、今のレクサスは車両ラインナップが SUVに偏り過ぎている気がします。
売れる車を選択して作っているからなのでしょうが、売れる車ばかり作っていると“特別感”が無くなってブランドの魅力が薄れてしまうような気がしますがねぇ。
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TOYOTA | 日記
Posted at
2021/11/17 01:30:07