
目が覚めて窓の外を見ると、もう雪の影響は殆ど無い感じでした。
まー、目が覚めたのは
11時過ぎだったので、粗方の雪は融けてしまったようですがね。(爆)
寝坊したし、遠出する時間もないので、こちらにお邪魔したのですが……
到着するなり、オーナーのM崎さんが空を見上げるし。
って言うか、木曜日の大雪は 私の所為じゃないですからねっ!
誰が“雪男”だっ!
と、そこで常連のHさんが助け舟を出してくれました。
「いや、タケラッタ(の本名)さんは、雪男じゃないよ」
ですよねー。
「風雲児だよ」
いや、“児”って歳じゃないし…
「いや、風雲爺」
〇さん、言い方っ!
昨日のブログでも触れましたが……
1982年12月16日、ロータスの総帥コーリン・チャップマンが心筋梗塞で急逝(享年54歳)。
当時のチャップマンはバリバリの現役であり、チャップマンが死んだ日も F1初のアクティブサスペンションを採用したロータス92のテストを行っていました。
市販スポーツカー部門のロータス・カーズは、社長を失った事から深刻な経営難となります。
トヨタも株主(確か20%くらいの株を持っていた)としてロータスを支援、パーツ供給などを行っていましたが、新型車を出せない状態では経営改善もままなりません。(ジウジアーロ作の「エトナ」あたりが発売できていれば、状況も変わっていたのでしょうけど…)
1986年、ロータスがGM傘下に入る事が発表されました。
それまで、ロータス株を所有していたトヨタとの関係は、ここで終焉を迎えます。
GMグループ入りしたロータスは、GMグループのエンジニアリングの仕事をたくさん頂きました。(笑)
C4コルベット(ZR-1)に搭載された
DOHCエンジンの設計
オペルの“
ロータス オメガ”
ちなみに、ロータス オメガに搭載されるエンジンは 直6 3.6ℓツインターボで、377ps/56.8kgmの性能を誇りました。
いすゞ各車のチューニング
ピアッツァ、ジェミニの他に、ビッグホーンのハンドリング by ロータスがありました。
そして、トヨタが株主の時に トヨタのパーツ供給を受けていた様に、GMグループのパーツの供給を受ける事になります。
それが1990年に登場した2代目エランでした。
ロータス・エラン(M100)
オープンカー復活の切っ掛けとなったユーノス・ロードスターが、旧いエランを思わせるようなFRライトウェイト・スポーツであったのに対し、本家とも言うべきロータスが発表した2代目エランはFFでした。

(なんか、いかにもフロントが重そうな写真…)
これは、親会社のGMから、GMグループのコンポーネンツの使用を要求された為であり、いすゞ製エンジン&トランスミッションを使わざるを得なかったのです。
しかし、GM傘下になる前から2代目エランの構想は始まっており、M90というプロジェクトを経て、X100では試作車まで製作されていました。
ロータスX100は、その当時の資本提携先であるトヨタ自動車のエンジン(4A-G)を搭載するFR車としてプロトタイプが1台だけ作られました。
ロータスらしいXボーンフレームのFR車にトヨタの4A-Gエンジンを積み、車重はわずか895kgだったそうです。
ロータスX100に関しては、
こちら を参照ください。
X100は、コーリン・チャップマンが手掛けた最後のプロジェクトだったそうです。
もし 1982年にチャップマンが亡くなっていなければ、経営難にもならず、GMに身売りしなくても済んだかもしれないし、GMにいすゞ製コンポーネンツの使用を強要される事も無かったでしょう。
そもそも、1984年にプロトタイプは完成しているので、1985年頃には2代目“FRエラン”が登場していたかもしれません。
2代目エランは、FFスポーツとしては間違いなく良い車だったのでしょうが、顧客がロータス車に求めているものはそれではなかった筈です。
FFエランは、販売上も、そして企業イメージ上でも決して成功とは言えず、ロータスの経営危機は続きます。
1993年にGMがロータスを手放すと、ブガッティ傘下となります。
ブガッティと言っても、現在のVWグループに属する超高級(と言うか 超高額)スポーツカーメーカーのブガッティではなく、イタリア人実業家ロマーノ・アルティオーリが、フランスの伝説的メーカー“ブガッティ”の商標を手に入れて興したイタリアのメーカーだった頃のブガッティです。
当時のブガッティ(EB110)
1995年にブガッティが破産すると マレーシアの国策自動車メーカーであるプロトンがロータスを買収しました。
プロトン自体、三菱自動車から技術提供を受けて自動車生産していたような会社であり、国がバックについているから買収資金はありましたが、ロータスに提供できるような技術もパーツも有りません。
もう、ロータスは経営破綻するしかないのか?
そんな状況下にあったロータス社内で、独創的な構造を持つ新型車両の開発が行われていたのです。
-次回へつづく-
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Lotus | 日記
Posted at
2022/01/08 22:52:11