
グループBがサーキットを走る事はありませんでしたが、ラリーフィールドではグループB車両によってレースが行われました。
今回は、前回ブログで触れられなかった、WRCを戦ったグループB車両について書いていきます。
1982年
グループB初年度である1982年の世界ラリー選手権(WRC)は、移行期という事でグループ4との混走となりました。
当時のWRCは、前年からアウディが持ち込んだ4WDが、グラベル(未舗装路)やアイスバーンといった低μ路で圧倒的な強さを発揮。
4WDがチャンピオンを獲得するのは時間の問題と思われましたが、この年ランチアが新レギュレーションのグループB車両に選んだのは、4WDではなくかつてストラトスでラリーを制覇した実績のあるミッドシップ車両(ランチア ラリー 037)でした。
はたして、勝つのは新世代4WDマシンのアウディ クワトロか? それともミッドシップの ランチア 037か?
勝ったのは、コンベンショナルな FRのオペル アスコナのW.ロールでした。(笑)
(まぁ、マニュファクチャラーズタイトルはアウディが獲得していますが…)
1983年
この年からはグループBに統一され、前年はグループ4だったアウディ クワトロもグループBとなりました。
ちなみに、国産メーカーもグループB車両でラリーに参戦しています。(トヨタはセリカ、日産は240RS)
この年は、アウディ(クワトロ)とランチア(ラリー 037)の一騎討ちとなりましたが、マニュファクチャラーズタイトルを手にしたのはランチア(写真 左、ドライバーは W.ロール)でした。
なお、ドライバーズタイトルを獲得したのはアウディのミッコラ(同 右)でした。
1984年
前年、マニュファクチャラーズタイトルを制したランチアのエースだったW.ロールが「もはや後輪駆動では勝負にならない」と発言し、アウディへ移籍。
クワトロの熟成も進んだ事もあって、ロールの言葉通り二駆の037では勝負にならず、シーズン半ばにはアウディがダブルタイトルを決めてしまいます。
何か、「グループBの隆盛」と言うより「アウディ クワトロの隆盛」って感じになってないか?
安心してください、履いて…
このシーズンのタイトル争いには絡まなかったものの、グループB車両として重要な意味を持つマシンがデビューしています。
それが プジョー 205ターボ16 です。
見た目こそ、プジョーのFFコンパクトカー 205の形をしていましたが、ターボエンジンをミッドシップし、駆動力を前後輪に配分した4WDでした。
この年は本格参戦前の実践テストという意味合いではあったものの、シーズン終盤で3連勝し、ダブルタイトルを決めたアウディ クワトロすら寄せ付けない速さをみせたのでした。
1985年
前年に登場したプジョー 205ターボ16は、ミッドシップ+4WDという絶対的なパッケージによってシーズンを席巻、7勝を挙げてチャンピオンシップを獲得しました。
もはや、4WDのアウディ クワトロも 4WDというだけでは勝てない状態となりました。
当然、後輪駆動のラリー 037では勝ち目がないランチアは、最終戦のRACラリーで プジョーと同じミッドシップ・フルタイム四駆である デルタS4を登場させます。
この デルタS4は、ミッドシップ四駆というだけではなく、エンジンがターボ+スーパーチャージャーというツインチャージエンジンでした。
低速域はタイムラグのないSCで、中高速域はターボで加給する事で全域レスポンスに優れ、デルタS4はデビュー戦を1,2フィニッシュで飾るのでした。
1986年
1986年は、さらに特徴的なマシンがデビューしました。
フォード RS200
プジョーやランチアが、中身こそバケモノですが見た目は市販車というマシンだったのに対し、フォードは外観もラリー専用マシンとしました。
MGメトロ 6R4
ベース車両こそMGメトロでしたが、エアロパーツはもはやボディワークと言うより、ウイングそのもの。
まぁ、開発にはF1のウィリアムズも絡んでいたと聞けば納得ですが。
この頃には、グループB車両は1トンを大幅に切る軽量ボディに約600psという大パワーエンジンを搭載するモンスターマシンとなっていました。
高速化したラリーは、度々重大事故も発生していましたが、FISAはイベントとして盛り上がっている事から、競技の危険性自体は問題視せず、イベント主催者側の管理のマズさと見なしていたのです。
しかし…
つづく
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2024/03/30 01:58:01