
このブログは、5月に「
ニューウェイのレッドブル離脱が正式発表」されたタイミングで書き始め、下書き保存していたものなのですが…
当然ながら、まだ移籍先の発表も無い時期であった為、「はたして、次はどこに行くのか!?」なんて事も書いていました。
本命は、やっぱり
”フェラーリ”でしょう。
もしかしたら
”メルセデス”も狙ってるか?
HONDA絡みで
”アストンマーティン”もあり得るだろう…
個人的には、独自の空力コンセプトで戦ってきた
”ウィリアムズ”に興味を抱くんじゃないかな~、なんて思っていました。
それに、中堅チームのウィリアムズなら、ニューウェイが嫌う政治的な話も無いし、英国を出なくても仕事が出来るというのも魅力でしょうし…
なんて事を書いていたのですが、下書きのまま積んでいるうちに、
”アストンマーティン加入”が正式発表されてしまいました。(汗)
折角書いた下書きブログが日の目を見ないのも勿体ないので、
「エイドリアン・ニューウェイ アストンマーティンF1加入 正式発表」記念も兼ねて、ブログを投稿致します。
(なお、記載内容は 8月頭にアストンマーティン入りの噂が出始めた頃のものなので、9月11日現在では矛盾しているものも含まれています)
本題に入りましょう。
何故、実際にマシンを走らせるレーサーでもない、設計者の A.ニューウェイ の去就にここまで大騒ぎするのでしょうか?
それは、ニューウェイが
『F1の歴史上 最も成功したデザイナー』だからに他なりません。
今まで、ウィリアムズ、マクラーレン、そしてレッドブルで数々の勝利を記録し、各々のチームでチャンピオンを獲得してきました。(*1)
ウィリアムズで59勝、マクラーレンで43勝、レッドブルでは今季を含めて120勝と、3チームで合計222勝(*2)で、これは、1950年から参戦しているフェラーリ チームが挙げた244勝に匹敵する勝利数(*3)なのです。(ちなみに、2位のマクラーレンは185勝なので、大きく上回ってしまっている)
チャンピオン獲得数も、コンストラクターズがウィリアムズで5回、マクラーレンで1回、レッドブルで6回と 計12回。
ドライバーズタイトルは ウィリアムズ時代に4回、マクラーレンでは2回、レッドブルで7回と 計13回獲得しています。(*4)
*1:
異なる3チームでチャンピオンを獲得したデザイナーはニューウェイのみです。
*2:
なお、レッドブルグループのトロロッソが2008年に挙げた1勝も、ニューウェイが関わっていたマシンとカウントすれば、223勝となります。
*3:
ちなみに、出走回数は フェラーリが1090回で244勝(勝率 0.223)、ニューウェイは662回で223勝(同 0.336)ですから、勝率ではフェラーリをも圧倒しています。
*4:
各コンストラクターズ時代のドライバーズタイトル獲得者は、ウィリアムズがマンセル、プロスト、ヒル、ヴィルヌーブが各1回、マクラーレンがハッキネンで2回、レッドブルが ベッテル:4回、フェルスタッペン:3回です。
いったい何故、ニューウェイの設計したマシンはこれだけの好成績を挙げられているのでしょうか?
それは、
ニューウェイが設計したマシンが空力に優れているからに他なりません。
ニューウェイが生み出した数々の名車が空力特性に優れたマシンであった事から、彼は
『空力の鬼才』と呼ばれているのです。
そんなニューウェイに私が初めて注目したのは、1988年の
マーチ881を見た時でした。
その頃のマーチは、スポンサーが日本のレイトンハウスだった事も理由の一つには有りましたが、何と言ってもそのマシンを見た時のインパクトはかなりのものでしたから。
この年は、マーチと共に新興チームの一つだったベネトンと共に、その空力マシンが注目されたのですが…
ちょっと凄くないですか?
まだ空力が重視される前とはいえ、フロントノーズ、リアカウル、サイドポンツーンの絞り込みがえげつないです。
また、マーチ881は 他車に先駆けて、フロントウィングをノーズ下に配置しました。(当時は、ノーズ側面の左右にウィングを取り付けていた)
こうする事で、ノーズ下面もウィングとなる為 より多くのダウンフォースを得る事が出来ました。
また、Fウィングの翼端版を3D形状にしたのも マーチ881が先鞭をつけたものの一つですね。
同時期の代表的なF1マシンを見てみると…
マーチ881と同様 空力マシンと呼ばれた
ベネトンB188
ペンシルノーズと言われた細身のベネトンB188ですら、マーチ 881と比べるとズングリムックリに見えます。
最強ホンダエンジンを搭載し 16戦15勝を誇った
マクラーレン MP4/4
MP4/4は、ドライバーの肩が露出しそうなコックピット周りの低さこそ印象的ですが、サイドポンツーンは高くて箱型です。(Fウィング翼端版も、まっ平らな”単なる板”ですね)
ニューウェイは、子供の頃からレーシングカー設計者になる事を夢見ていました。
その夢を叶える為に入った大学で専攻したのが航空宇宙工学ですから、その頃から既にレーシングカーにおける空力の重要性を理解していたのでしょうね。
大学を卒業したニューウェイは1980年、弱小チームのフィッティパルディに入り、ハーベイ・ポスルスウェイトの下で空力チーフの職を得ますが、間もなくチームが破綻。(汗)
翌1981年、レーシングコンストラクターのマーチ・エンジニアリングに転職します。
ただ、当時のマーチはF1のコンストラクターではなく、現在のダラーラの様な、レーシングカーコンストラクターでした。
ニューウェイは、アメリカのインディカーなどの設計に携わりました。
そんなマーチと組んでF1に挑戦しようとしたのが、日本のレイトンハウスだったのです。
遂にチーフデザイナーとしてF1界に戻ってきたニューウェイ。
しかし、前年に参戦を開始したマーチは、エンジンカウルすら装着していない、F3000に毛の生えた様なマシン(マーチ871)を走らせていた弱小チームです。
しかも その年は、セナとプロストを擁し、最強ホンダエンジンを搭載した マクラーレンMP4/4 が16戦15勝と席巻した年でした。
そのシーズン最強、いや、F1史上最強と言われたマクラーレンMP4/4に、非力なNAエンジンながら自らの拘りを詰め込んだ空力マシン マーチ881で挑んだニューウェイ。
マーチ881は、圧倒的なパワー差のターボエンジン勢を相手に、鈴鹿でその年唯一 NAエンジン搭載車で先頭を走った車となったのでした。
パワー差を空力で埋めたニューウェイ設計のマシン。
翌年の1989年からはターボエンジンが廃止され、パワー差が縮まる事から、マーチの躍進が期待されたのですが…
今回は下書きの蔵出しではありますが、実は完成していません。(汗)
という訳で…
-つづく-
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Posted at
2024/09/11 15:27:46