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タケラッタのブログ一覧

2019年10月30日 イイね!

ランボルギーニのモデル変遷

ランボルギーニのモデル変遷予告した通り、本日から フェラーリとランボルギーニ 2社のモデルの変遷を取り上げます。


どういう風に進めようか、ちょっと悩みました。


両社のモデルの変遷を一気に紹介するか?


それとも、各モデルに絞って、詳しく紹介するか?(例えば、テスタロッサ系を512TR → F512M という変遷まで取り上げるか)


ただ、今回のシリーズをリクエストした方が、『フェラーリだと355、ランボルギーニだとディアブロくらいで知識が止まってる』と仰っているので、ここは流れが分かるように、一気に紹介するのが良かろうと判断しました。


そんな訳で、ランボルギーニ編のスタートです!







ランボルギーニ・ミウラ(1966年~1973年)



フェラーリのような車を目指して自動車メーカーを興したフェルッチオ・ランボルギーニでしたが、さすがに何の実績もない新興メーカーには、フェラーリのライバルとはなり得ずにいました。


そんな状態を一気に変えるモデルが、ランボルギーニ・ミウラでした。


1965年11月、トリノ・ショーにボディが架装されていないベアシャーシが展示されました。



当時のロードカーはFRが一般的で、ミッドシップ車はルネ・ボネ・ジェット(仏)が有った程度。


そんな時代に、V12をミッドに搭載する車なんて、レーシングカーくらいしか考えられませんでした。(当時は、まだ『ミウラ』という名前もついていなかった)


しかし、翌1966年、ジュネーブ・ショーに流麗なボディを纏ったミウラが登場するとたちまち大評判となり、世界中の富豪たちから注文が殺到したのでした。



その後、ミウラをベースとする、未だに全容は謎に満ちたミステリアスな車、イオタも製造されました。



写真は、イオタそのものではなく、イオタを模したファクトリー製レプリカの中でも、特に有名なミウラSVR。






ランボルギーニ・カウンタック(1974年~1990年)



ミウラで確固たる地位を得たランボルギーニは、ミウラの後継を探ります。


ミウラ程の大成功を収めたモデルの後継となれば、キープコンセプトで行くのが普通だと思いますが、ランボルギーニが選んだのは、全く違うタイプの車でした。


いや、それまでの“車”というものの常識から逸脱したクルマ、それがカウンタックなのです。


何しろ、“カウンタック”という車名が、イタリア北西部ピエモンテ地方の方言で驚きを表す感嘆符“contacc”から来ているのですから。(一般的にランボルギーニは、車名に闘牛にちなんだ名前を付けますので、カウンタックと言う名前の特別性が分かろうというもの)


当時、日本はスーパーカー・ブームの真っただ中で、ドアが上に開くというギミックもあり、カウンタックは子供たちのヒーローになりましたが、世界的にもカウンタックは大成功を収め、その後のランボルギーニのデザインテイストは、このカウンタックがベースになっています。


なお、ミウラとカウンタック、曲線と直線、流麗と斬新、相反する言葉が似合う両車ですが、デザイナーはどちらも マルチェロ・ガンディーニ(ベルトーネ)と言うのが、にわかには信じられません。(汗)


カウンタックに関しては、以前にもブログの話題にした事があります。こちらの記事も宜しかったら読んでみてください。




ランボルギーニ・ディアブロ(1990年~2001年)



1974年から1990年まで、17年に渡って作られたカウンタックに変わるモデルは、完全にキープコンセプトでした。


既にカウンタックは単なるモデルのイメージを越えた、コーポレートイメージと言って良いものだった為、キープコンセプトを選ぶことは悩む事など無かった筈です。


しかし、開発には紆余曲折がありました。


当時、ランボルギーニはクライスラー(現在はフィアット・クライスラー)の傘下にあり、マルチェロ・ガンディーニの手によるプロトタイプに、あろうことかクライスラーのデザイナーが捏ね繰り回し手を加えた為、マルチェロ・ガンディーニが怒り、「デザイナーとして名前は出せない」と揉めたりしました。


なお、ディアブロから4WDモデルが加わります。





ランボルギーニ・ムルシエラゴ(2001年~2010年)



ムルシエラゴは、ランボルギーニがアウディ傘下に入った後に発売された車という事もあり、大幅に信頼性が上がりました。


ただ、ガヤルドに比べると、アウディの影響の少ないモデルとなっています。


まあ、アウディにV12エンジンは無いし、影響を受けようがない部分も多々ありますからね。(笑)


潤滑方式をドライサンプにすることによって、エンジンの搭載位置を50mm下げているものの、相変わらず後方視界は絶望的です。(笑)


あ、そうそう、ムルシエラゴからは全車4WDとなりました。


ムルシエラゴをベースにした少量生産モデル、レヴェントン(2007年)も登場しました。



フェラーリがF40から始まったスペチアーレ・フェラーリを生産するのに対し、ランボルギーニは少量生産モデルで、特別な顧客の欲求を満たす道を模索し始めたのでした。






ランボルギーニ・アヴェンタドール(2011年~)




現行車であるアヴェンタドール。


アヴェンタドールSVJでは、6.5ℓ V12エンジンから770psを絞り出すまでに至りました。


この車から、タケラッタの大好きなMTが無くなってしまいました。(T-T)


まあ、ラインナップされていても買えやしないのですが。


この世代でも、少量生産モデル、チェンテナリオ(2016年)が生産されています。







フェラーリがV12モデルをFRに回帰させたのに対して、ランボルギーニは一貫してミッドシップに拘っています。


拘りと言う意味では、ターボに頼らず、NAに拘っているメーカーでもあります。


そんなランボルギーニでも『環境』とは無縁ではいられないのか、初のハイブリッドカーのシアンを今年のフランクフルト・ショーで公開しました。



ランボルギーニも電動化の波には逆らえないようです。


それでも、V12エンジンに拘っているところは、さすがランボルギーニと言ったところでしょうか。





長くなったので、V12 ミッドシップ以外のランボルギーニ車は、また別の機会に……。


―つづく―
Posted at 2019/10/30 21:16:47 | コメント(2) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年10月28日 イイね!

フェラーリとランボルギーニ

フェラーリとランボルギーニ私のブログは、自分の事を書くだけではなく、メーカーや車の情報に関して書く事が結構多いです。


昨日も、新型フィットを話題にしましたしね。


そして、メーカーや車の遍歴について書く事もあります。


先日、GC8について書いたりもしました。


ま、この手のブログは、自分が好きな事をつらつらと書いているだけだったのですが、意外な事に、これらのブログを高く評価してくれる人がいて「今度、フェラーリやランボルギーニについても書いてくださいよ!」とリクエストを受けてしまいました。


いや、フェラーリとランボルギーニは、自分に縁のないメーカーなので、詳しくないんだけど……。(汗)


とは言え、期待されちゃうと応えてしまいたくなるタケラッタとしては、頑張って書いてみようと思ったのでした。(←そのやる気、仕事で見せろよ)


さて、今回のブログは、フェラーリ編、ランボルギーニ編をお届けする前に、2社の因縁について書いてみたいと思います。








よく言われる話で、ランボルギーニは、創設者フェルッチオ・ランボルギーニの、フェラーリへの怒りがスーパーカー業を開始するキッカケだったという話。


フェルッチオは、第二次世界大戦後に軍払い下げのトラクターを修理・販売。これで儲けて、製造にも乗り出し、成功を収めました。

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成功を収めた者、そしてイタリア人です。当然、フェラーリに行き着くのですが……。


エンジニアとしてフェラーリを見て、意外にレベルが低いと感じたフェルッチオは、改良の直談判をする為、エンツォ・フェラーリのところへ行きます。

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しかし、いくら成功者とは言え、たかがトラクターメーカーの経営者が天下のフェラーリの創設者に会ってもらえるものでしょうか?


はい、当然のように門前払いを食らいます。


この時の怒りで、フェルッチオは自らフェラーリを超えるスーパーカーを作ることを決意したのでした。








結構有名な話で、聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?


しかし、実際には、そんなドラマチックなものではなかったらしく


「なんだ、この程度なら、俺たちでも作れるぞ」


くらいのノリで自動車製造に乗り出したのだそうです。(汗)








まあ、フェラーリを意識していたことは間違いなく、フェラーリ同様のV12エンジンを搭載する車でデビューしますし、エンブレムもフェラーリの跳ね馬に対して、低く構える猛牛が選ばれています。(もっとも、単にフェルッチオ氏が牡牛座だったからという説もあります)


デビュー作となる 350GT(1964年) 。

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正直、あまりカッコイイとは思えませんけどねぇ。(汗)


これなら、プロトタイプの350GTV(1963年)の方がカッコ良かったと思うのですが……。

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ランボルギーニが名声を博したのは、やはりこの車からでしょうね。

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―つづく―
Posted at 2019/10/28 21:44:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年08月22日 イイね!

ランボルギーニ・イオタ、ぺブルビーチ・コンクール・デレガンスに登場

ランボルギーニ・イオタ、ぺブルビーチ・コンクール・デレガンスに登場本日も、先週の「モントレー・カー・ウイーク」の話です。


カリフォルニア州モントレーで開催された、世界的クラシックカーイベント「第69回ぺブルビーチ・コンクール・デレガンス」に、「ランボルギーニ・ミウラ・クラス」が特別に設けられ、ミウラ 5台が参加しました。


この5台の中には、2015年に開設されたアウトモビリ・ランボルギーニのヘリテージ部門「ランボルギーニ・ポロストリコ」でレストアが行なわれた3台が含まれています。




その中でも、一際目立つ車がコレ。



ミウラSVRです。


シャシーNo.3781のこの一台は、1968年に ミウラS として生産された個体で、1974年にこの車を購入したドイツ人オーナーの希望によりファクトリーに戻され、ボブ・ウォレスが開発したレースカー「イオタ」のレプリカとしてミウラ SVRとして仕上げられました。


ちなみに、オリジナルのイオタ(シャシーNo.4683)は、イタリアの高速道路で事故を起こして炎上、廃車となってしまいました。


日本でスーパーカーブームが起きた昭和50年代には、既にオリジナルのイオタはこの世に存在していなかったのです。


スーパーカーブームの時にランボルギーニ・イオタとして紹介された車の中には、ランボルギーニのファクトリー製ではない、巷の改造車も含まれていましたが、その頃、一番有名だったのが上記のミウラSVRでした。


なので、スーパーカーブーマーにとっては、ミウラSVRこそがランボルギーニ・イオタだったのです。(という事で、ブログタイトルも『イオタ』としました)








このイオタ(ミウラSVR)は、今、日本人オーナーが所有しているとの事。


今年6月、ポロストリコにて「ミウラ SVR」のレストアが完了し、中山サーキットにてお披露目されています。






SVRのレストア完了の件、ブログに書こうと思って画像をダウンロードしておいたけど、やっと使えた。(笑)






実は、スーパーカーブーマーのタケラッタは、当時からこのイオタ(ミウラSVR)が大好きだったのです。


当時、スーパーカーの王者は、同じランボルギーニでも、シザースドアが特徴的なカウンタックでした。


しかし、当時の私は、その頃の少年たちが皆憧れたカウンタックはあんまり好きではありませんでした。(みんなが好きだと言うジャイアンツが嫌いだったり……天邪鬼だったんですねー)


ウェッジシェイプなカウンタックよりも、流麗な、フィオラヴァンティ(ピニンファリーナ)がデザインしたフェラーリの方が好きでした。


しかし、一番好きだったのは、フィオラヴァンティとは一味違う流麗なラインのランボルギーニ・ミウラだったのです。


しかし、ミウラとカウンタックのデザイナーが同じ人(マルチェロ・ガンディーニ)だってのは、当時は信じられませんでしたね。


カウンタック以後のガンディーニは、直線的なラインのデザインばかりだったので、もしかしてミウラは、ガンディーニの前にベルトーネのチーフデザイナーだったジウジアーロの置き土産なんじゃないか? なんて思ったものでした。







ちょっと話が逸れましたが、一番好きだったミウラのスペシャルバージョン(レース仕様)であるイオタ(ミウラSVR)は、ガキの頃から憧れの車だったのです。


そんなイオタ(ミウラSVR)を、以前、間近で見た事があります。


GT2を買ったばかりの頃、買えもしないのに GT3(997)にも興味を持ち、実際に販売店まで見に行ったとき、その車は有りました。






あの時は、ポルシェ デビューしたばかりで、ある意味で怖いもの知らずでしたが、今じゃ、あのような超セレブな方々が行く店になんて、恐れ多くて行けません。


イオタ(ミウラSVR)を間近で見れた、良い思い出です。


でも、機会があれば、もう一度、見てみたいなー。(出来れば屋外で見てみたい)


Posted at 2019/08/22 22:45:49 | コメント(3) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年07月28日 イイね!

池沢さとし先生とカウンタック

池沢さとし先生とカウンタックスーパーカーを中心とした誌面作りをした月刊誌 GENROQ の Webページ、GENROQ Webにて、連続企画「池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側」というものがあります。


毎回、楽しく見させて頂いていますが、今回の話題は ランボルギーニ・カウンタック でした。


池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第7回:カウンタックは見た目だけでなく走りも“シャープ”だった」


カウンタックと言えば、池沢さとし先生の『サーキットの狼』が巻き起こしたスーパーカーブームにおける王者とも言える車です。(現在は『池沢早人師』ですが、あえて当時のペンネーム『池沢さとし』とさせていただきました)


作中においても、“ハマの黒ヒョウ”が駆る黒いカウンタックが出てきますし、先生がスーパーカーブームを語るにおいても、絶対に外せない車と言えるでしょう。


ただ、今回、先生は意外な事を告白なさっていました。


「恥ずかしい話、連載の途中までその存在を知らなかった。だから公道グランプリの途中から現れることになるんだ(笑)」


なんと!


ああ、だから、登場時はサイドウィンドウのサッシ形状が量産タイプのそれじゃなかったんですね。



1971年のジュネーブショーで発表されたプロトタイプ(LP500)



とてもすっきりしたリアスタイルでしたが、冷却が厳しくて、量産時にはBOX形状のエアインテークや、その後方にダクトが追加され、かなりゴチャゴチャ感のあるリア周りになってしまいます。






池沢先生の話に戻りますと、先生はカウンタックを所有なさっていたとの事。私は、初めて知りました。ロータス・ヨーロッパ、ディーノ、911カレラRSあたりは知っていたのですが……。


「同じ頃、フェラーリの512BBも持っていたので、新車のLP400Sと512BBを日替わりで乗り比べていた。実際に2台を比べたら頭の中にあったイメージとは全く逆で、512BBはボディが柔らかくてロールしながらコーナリングするのに比べ、カウンタックはボディ剛性が高くてフォーミュラカーのようにシャープな走りが楽しめた。ハンドリングも512BBよりもLP400Sの方がシャープでクイックだったね。」


オーナーとして、カウンタックと512BBの比較を述べられるなんてスゴイ!


両車に触れた事すらない私は、比較インプレッションなんて出来る訳ないのですが(汗)、両車のレイアウトから乗り味を想像は出来ます。


512BBは、本来なら重心を低く出来る180度V12エンジンでありながら、ミッションの上にエンジンをレイアウトする二階建て構造になる為、かなり重心が高くなっています。


また、高さのみならず、前後位置もミッドシップとは言いながらも、後ろ側のシリンダーは後車軸よりも後ろにあり、かなりリアヘビーな車となってしまっているのです。



対するカウンタックは、エンジンの前方にミッションを配置するため、エンジンに次ぐ重量のミッションが、ほぼ車体の中央にあり、単にミッドシップとするよりも理想的な重量配分となります。



カウンタックと言うとシザードアが一番の特徴と言えますが、私なんかだと、この一旦前方に出力を持っていくレイアウトが、ランボルギーニが得た一番の財産なのではないかと思います。


前述のエアボックスなどの付加物により、空力的にはリフトが目立つ車になってしまいますが、その頃は今ほど空力について研究されていなかったので、決定的な弱点とはなりませんでした。




「カウンタックは時代を象徴する“スーパーカーのシンボル”なんだ。前モデルのミウラは優美な曲線が女性的だったけど、カウンタックは直線的で男臭い。シザースドアもアグレッシブだしね。カウンタックの存在感はデビュー当時から色褪せることなく、今でも強烈なインパクトを保ち続けているのは凄いことだと思う」



池沢先生、うれしそう。




ミウラがランボルギーニと言うメーカーをメジャーな存在にしたのに対し、カウンタックは、スタイリングを始めとした、ランボルギーニの車の方向性を決定づけた車と言えるでしょうね。
Posted at 2019/07/28 22:40:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記

プロフィール

タケラッタです。 子供の頃からの夢、ポルシェを手にしただけでは飽き足らず、遂にロータスまで買ってしまいました。 実用性はないかもしれないけれど、運転する事自...
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