
突然ですが、体調が良くありません。(←ホントに突然だな)
新しい契約先が決まったって事もあるけど、プライベートでも忙しいので、色々とキャパオーバーって感じです。
ストレスからお腹は下すわ、睡眠が上手く取れなくなるわ……
さすがに寝不足で運転すると事故る可能性が有るので、本日 ハンドルを握るのは自重しました。
折角の晴れた週末だったんですがねぇ。
若干、愛車のバッテリー上がりが心配になっているタケラッタでした。
って、終わっちゃダメでしょ!
愛車ネタが無かったので(←トラブルネタなら有るんだけどね……)、行ってもいない AUTOMOBILE COUNCIL をネタにしたのですが、実はランボルギーニについて語ってみようかなーと思ったからでした。(←つまりは、“振り”って事ですか?)
前回ブログでは、レオナルド・フィオラヴァンティ、マルチェロ・ガンディーニ、ジョルジェット・ジウジアーロといったデザイナーに焦点を当てましたが、実は 創成期のランボルギーニには、著名なエンジニアが大勢いたのをご存じでしょうか?
まずミウラのシャーシ設計、というかミウラという車そのもののプロジェクトの発案者が
ジャンパオロ・ダラーラ。
(ジャンパオロ・ダラーラさんについて語ろうとすると、それだけで1つのブログテーマになっちゃうので、今回は割愛します)
ダラーラの同僚には、テストドライバーでもあり、また イオタを開発した事でも有名な
ボブ・ウォレス。
(もっとも、上の写真は現在もっとも有名なイオタ・レプリカである ミウラSVRですが)
そして、カウンタックの父とも言うべき
パオロ・スタンツァーニ等がいました。
創成期とは言えないかもしれませんが、パガーニ・アウトモビリを興した
オラチオ・パガーニもランボルギーニに在籍しており、カウンタック 25th Anniversaryの開発に関わっています。
当時のランボルギーニは、規模も小さく 歴史もないメーカーだったのですが、これだけの伝説的なエンジニアがいたのですから、如何にイタリアがスーパーカー作りに特化した環境だったかが分かりますね。
いや、これだけのエンジニアがいながら、メーカーとしてのランボルギーニは厳しい状況にあったのだから、如何に企業経営が上手くなかったって事になるのかな?(汗)
Posted at 2022/04/23 23:51:39 | |
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Lamborghini | 日記