
最近、やたらと『黄色いクルマ』とか言ってブログネタにしている奥様から
「ブログのダシに使ってばかりじゃない。偶には、私のリクエストに応えてよ!」
と言う事で、奥方様のリクエストに応える事とします。
で、リクエストというのは、奥方様の愛車の “アバルト” についてです。
でも、アバルトについては全然詳しくないんだけどなぁ……
まぁ、ウィキ見ながら書いてみるとしますか。
アバルト社は1949年、トリノにて設立されました。
創設者はカール・アバルト、1908年にオーストリア・ウィーンで産まれたカールは、イタリアに移住するとカルロ・アバルトと名乗る事になります。
へぇー、アバルトってオーストリア人だったんだ。
元々はドイツ語圏の人であり、正式には カルロ・アルベルト・アーバルト(Carlo Alberto Abarth)らしい。
バイクレースのライダーとしてモータースポーツの世界に入り、競技者から引退すると、エンジニアリングの世界の住人となります。
イタリアに移住したアバルトは、チシタリアの技術・モータースポーツ責任者となったのです。
チシタリア……以前、リバイバルカフェで見た車ですね。
チシタリア(Cisitalia)
1946年、トリノの実業家ピエロ・ドゥジオが設立した自動車メーカー。
モータースポーツにも力を入れていたチシタリアは、1947年のミッレ・ミリアでは1.1ℓの小さなエンジンながらアルファ ロメオ 8C 2900Bとバトルを繰り広げ、優勝こそ出来なかったものの 2−3−4位を占めました。
しかし、チシタリアの車両価格はあまりにも高価で経営は破綻してしまいました。
チシタリアが経営破綻すると、アバルトがチシタリアのレース部門を引き継ぎ、自らの名前を冠した「Abarth & C.」をトリノ市に興しました。
パーツ販売などで得た資金を元にフィアットの小排気量車をベースにしたエンジン・チューンやレース車の製作を行います。
なお、アバルトのエンブレムでサソリが用いられているのは、カルロ・アバルトの誕生月の星座(さそり座)だからだそうです。
この辺は、ランボルギーニのエンブレム(ファイティング・ブル)の由来と似てますね。
最初にサソリのエンブレムを付けた車がこれ。
ABARTH 204A(1949年)
まー、実際のところは チシタリア204 として開発が進められた車であり、チシタリアが経営破綻した為、アバルトに引き取られたチシタリア204にサソリのエンブレムを付けたっていう車なのですがね。(車名の最後に付く“A”は アバルトのAです)
車の成り立ちが特殊なので、この車は『CISITALIA ABARTH 204A』と呼ばれる事もある様です。
主にフィアット車を用いてのレース活動、チューニングカー製作を行っていて、ハイチューンなマシンはレース等でも活躍、“アバルトマジック”と呼ばれました。
1971年にフィアットに買収されると、フィアットグループのレース部門としてフォーミュラカーやラリーカー、ツーリングカーの各マシンの開発に携わりました。
その後、フィアットグループのブランド再編成が行われ、今ではフィアット系のハイパフォーマンスカーのブランドとなり現在に至るって感じですね。
(写真はアバルト70周年記念車、アバルト695 セッタンタ・アニヴェルサーリオ)
長くなってきたので、初回はこの辺で……
Posted at 2022/07/22 09:14:21 | |
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アバルト | 日記