
私がランチアの名を知ったのはまだガキの頃、いわゆるスーパーカーブームってヤツでした。
同年代の方ならわかりますよね。
アリタリア・カラーのランチア・ストラトスです。
ベルトーネがラリーに勝つ為にデザインした、超ショートホイールベースのミッドシップカー。
70年代中盤のWRCを席巻したマシンです。
もちろん、まだお子ちゃまだったのでラリーがどんな競技で有るのかなんて、殆どわかっていなかったのですが、兄貴が買ってくる自動車雑誌に載る記事を見て「スゲー」と思っていました。
(このアリタリア・カラーのプラモデル、作りましたよ)
そのストラトスですが、ラリーに特化した車であり、実用性は皆無に等しく、販売上は成功とはいえませんでした。また、宣伝効果も量産車とは掛け離れていたため、戦闘力を保ちながらも、フィアット131にバトンタッチされる事になりました。
子供心に、なんで不恰好(失礼)な車に変えちゃうのー?なんて思いましたっけ。
また、当時はGr.5、いわゆるシルエット・フォーミュラーでのレースも行われていて、同じカラーリングでレースに出場していました。
でも、ラリーで小回りする事を前提に作られた超ショートホイールベース車です。サーキットでストレートを走るのは怖かったんじゃないですかねー。(汗)
ランチアの名がラリーフィールドに戻ってきたのは、その名もズバリ、ランチア・ラリー(037)です。
この時はアリタリア・カラーではなく、マルティニ・カラーでした。もっとも、それ以降はずっとマルティニカラーで走った為、ランチアと言えばマルティニ・カラーともなった訳ですが。
当時、アウディが先鞭をつけた4WDが主流になりつつあった頃、あえて2WDのミッドシップを選択、またターボではなくスーパーチャージャーという天邪鬼な車でした。
それでも、しっかりマニファクチャラーズタイトルを獲得しました。(2WD最後のタイトル獲得車)
その後、グループBはランチアもデルタS4で4WDになりましたが、車が速くなり過ぎ、重大事故を起こしてしまい、WRCはグループAで行われるようになりました。
しかし、ランチアの黄金時代はまさにグループA(ランチア・デルタ)になってからでした。
1987年から6連覇。
この頃は自分で車を運転していたし、グループAは量産車に近い事から「乗ってみたい車だなぁ」と思うようになりましたね。
実際、カタログを貰いに行った事もありました。と言っても、ペラッペラのカタログでしたけど…。
(当時は、マツダが販売店の5チャンネル化した時で、オートザムでランチアを扱っていました)
思えば、今、スバル(インプレッサ)に乗っているのは、このランチア・デルタの影響が大きかったと思います。
(ちなみに、タイトル画像は去年11月の袖森フェス流し撮り教室で、参加車両を撮ったものです)
Posted at 2013/06/26 21:39:17 | |
トラックバック(0) | 日記