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タケラッタのブログ一覧

2021年10月26日 イイね!

トヨタ自動車物語 「トヨタとFF車」

トヨタ自動車物語 「トヨタとFF車」トヨタは、初代パブリカを開発するにあたり、当初はFF車として開発を始めていました。


これは、当時の技術担当専務だった豊田英二の意向で、シトロエン2CVを意識していたものだと思います。(水平対向2気筒+FF …… まんま 2CVですね)


しかし、当時の技術レベルでは、トヨタの求めるレベルの等速ジョイントが作れなかった事から、FF車とすることを断念したのです。





このFFに慎重な姿勢は、その後のトヨタにもずっと続いたのでした。


ホンダ・シビックの大ヒット以降、国産車にFF化の波が訪れます。




FF車の利点(コンパクトに収まる駆動部と、その結果得られる広い室内)を生かす為、他のメーカーも続々と主力車種をFF化していくのです。


ミラージュ、ファミリア、ライバルの日産も カローラのライバル、サニーをFF化しました。




しかし、トヨタはカローラのFF化に消極的でした。


ライバルが続々とFF化していくのに対し、カローラ(70系)はFRを貫き、さらにコンパクトなスターレット(KP61)までFRのままでした。





トヨタは、この時代になってもFF車特有のトルクステアなどを気にしていた様です。





そんなFFのネガを気にするトヨタが作ったFF車第一号が、ターセル/コルサでした。




この車、知らない人も結構いるかもしれませんね。


その後、カローラⅡを含めて タコⅡ3兄弟になってからは結構メジャーな車になりましたが、初代ターセル/コルサはかなりマイナーな車でした。


ちなみに、タイトル画像は赤いターセルを探したんですが、見つかりませんでした。


えっ、何で赤かって?







トヨタがターセル/コルサを開発するにあたり、やはりトルクステアを相当気にしたようで、一般的なエンジン横置きのジアコーサ式ではなく、縦置き方式を採用しました。




ただ、SUBARUの水平対向エンジンとは違い、一般的な直列4気筒エンジンなので、普通に縦置きにしただけではフロントオーバハングが長くなってしまいます。


トヨタは、エンジンの下にデフを配置するという二階建て方式とする事でこれを解決しました。




ただ、二階建て方式とする事で重心は高くなりますし、ボンネットやウェストラインも高くなります。


一方で、トヨタが気にしたトルクステアも、技術の進歩で気にならないレベルのものが作れる様になっていきます。


結局、その後に登場した ターセル/コルサ系以外のFF車は、全てエンジン横置きのジアコーサ式となったのでした。





トヨタって、考えは保守的なのに、その考えを実現するために時たまぶっ飛んだ手段を取る事がありますね。


「天才タマゴ」こと初代エスティマは、FFを嫌ってエンジンを床下に搭載、その為にエンジンを75度も傾けたのでした。










エスティマの床下エンジンは一代限りとなり、二代目はFF化されましたし、ターセル/コルサも三代目からは横置きのジアコーサ式に改められました。


本来なら、無駄な投資をしたと思うところですが、トヨタは「転んでもただでは起きない」会社です。


ターセル/コルサの縦置きFFは、SUBARUがそうであったように四輪駆動化が容易です。


二代目ターセル/コルサ/カローラⅡのコンポーネンツを使用し、スプリンター・カリブ というヒット車を生み出したのでした。



この時期は、まだライトな乗用四駆車は少なかったので、スプリンター・カリブはスキーを楽しむユーザーに好評でした。


カリブ以外で 4WDを選ぼうとすると ハイラックス・サーフやパジェロといったヘビーデューティーな車になってしまいましたからねぇ。


えっ、セリカGT-FOUR?


「凍ってるね」って、歳がバレます!(汗)







FF化に限らず、トヨタって新技術には慎重で、すぐ飛び付いたりしない会社なんですよね。


少しでも懸念があると、その問題が解決しない限りは商品化しない……これは技術力が無い訳ではなく、自分たちが納得するレベルに達するまで商品化しないだけ。(EVなんか、まさにそれだと思います)


しかし、一度やると決まったら、その分野で No.1になるまで徹底的にやる会社でもあるんですよね。


それだけ、ライバルとするのは手強過ぎる会社という事なのですが……日産も、トヨタに対抗しようと思わなければ、会社が傾いたりしなかったんじゃないかなー。
Posted at 2021/10/26 21:34:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | TOYOTA | 日記
2021年10月25日 イイね!

トヨタ自動車物語 「名ばかりのGTは 道をあける」

トヨタ自動車物語 「名ばかりのGTは 道をあける」自動車メーカー、そして 自動車市場が成熟していくと スポーツカーが生まれます。


生産台数的にはホンダを超えたヒュンダイが、今だにスポーツカーを作っていないのは、まだ韓国市場が成熟していないからなのかもしれません。(まー、BMWの“M”を真似て 高性能ブランド “N” を始めましたがね)


かつての日本も同様で、各メーカーはまずはセダン、もしくは トラックから開発し、十分な技術や資金的な余裕が出来てからスポーツカー作りを始めました。


まー、一部例外はありますけど……







今回テーマにしているトヨタはというと、スポーツカー作りに慎重なメーカーでした。


前述のホンダは異例過ぎますが(笑)、ライバルの日産にはオープン2シーターのフェアレディがありました。


(フェアレディのルーツとなるダットサン・スポーツ1000は 1959年から生産されていました)


そんな訳で、スポーツカーはトヨタの数少ない弱点でした。


トヨタも、ようやく1965年にパブリカをベースに トヨタ スポーツ800 を発表。


(もっとも、ヨタハチは前回のブログで紹介した長谷川龍雄さんがパブリカのパーツを使って 半は趣味で開発した車であり、市販予定など無かったのですが、ショーに出したら大評判になっちゃったので販売する事になったんですが…)


1967年には、本格的なGTスポーツカーのトヨタ2000GTが発売されました。



トヨタ2000GTに関しては、ヤマハとの共同開発という事もあって、ヤマハが日産と共同開発していた「A550X」がベースになっているっていう話をよく聞きますが、これは事実ではありません。


トヨタ2000GTの開発は、ヤマハとの提携以前にトヨタ側で既に始まっており、身内の関東自工での生産が難しそうという事からヤマハとの提携に至ったのでした。



この2台が並ぶと絵になりますね。









このままだとブログタイトルに辿り着きそうもないので、先を急ぎます。(汗)


トヨタは、2000GTで提携したヤマハとの関係を生かしてDOHCエンジンを投入し、スポーツグレード“GT”を展開していきます。


トヨタ1600GT、マークⅡ GSS(←GTじゃないじゃん!)


そして、1970年には日本車初のスペシャリティカー セリカを発表するなど、スポーツ色の強い車たちを増やしていったのです。(セリカの主査も 長谷川龍雄さんです)




私は セリカLBが大好きでした♪








しかし、そんなスポーティな車たちは、排ガス規制やオイルショックによって存亡の危機に直面する事になります。(ちなみに、本来なら「存亡」のように正反対の語が並ぶ場合は “危ぶまれる”という言葉が続くのは正しくなく、『存亡の機』とすべき……って何の話だっけ?💦)


各メーカー、スポーティグレードは廃止、若しくはパワーダウンを余儀なくされました。


トヨタでも、レビン/トレノがカタログから落ち、18R-G+ソレックスツインで 145psを誇ったセリカ2000GTも、排ガス対策後は130psまでパワーダウンしました。(あと、衝撃吸収バンパーになっちゃったのも悲しかったなぁ)





それでも、トヨタはDOHCエンジンを作り続けたのです。


一時期、カタログから消えたレビン/トレノも、EFI化して復活します。


なお、この時期のレビン/トレノは かなりややこしい車種体系になってます。


レビンは、前期はセダン顔のハードトップ(TE37)でしたが…




後期はクーペ(TE51)に変更されました。




一方、トレノは 前期(TE47)・後期(TE61)ともにクーペでした。



なお、後期モデルは、対応した排出ガス規制により、前述のTE51/TE61(51年規制対応)とTE55/TE65(53年規制対応)に分かれます。(ああ、ややこしい)


ちなみに、カローラ・スプリンターシリーズには、クーペ顔のリフトバックもありましたが、DOHCエンジンを積んでも単に“GT”と呼ばれるだけで、レビン/トレノを名乗る事はありませんでした。


うーん、レビン/トレノ物語になってしまいそうだ。(汗)





この頃って、ちょうどスーパーカーブームと重なるので、車に興味を持ち始めた頃にスポーティな車を残してくれたトヨタって結構好きだったんですよね。


対する日産車のイメージは、その頃は単なる6気筒エンジンを積んでるだけの車(←失礼💦)でしかなかった。


確か、スカイラインは GTでも120psくらいだったんじゃないかなー。(EGI化して ようやく130psってとこ)


ハコスカの伝説をリアルに知らないガキンチョは、「スカイラインなんて名前ばかりで大した事ないじゃん!」って思っていたのですよ。


でも、まさかトヨタさんまで CMで堂々と言っちゃうとは思いませんでしたけどね。(汗)












トヨタは今でもスポーツカーをラインナップしてくれています。


GR 86



GR スープラ



しかし、86はSUBARU、スープラはBMWと 共同開発とは言いつつも、コンポーネンツは提携相手のメーカーのもので、実質的にはOEMモデル……現在においても スポーツカーはトヨタの数少ない弱点って事なんですかね。
Posted at 2021/10/25 22:03:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | TOYOTA | 日記
2021年10月24日 イイね!

大混雑の箱根TRGの後は、大渋滞の帰路が待っていた

大混雑の箱根TRGの後は、大渋滞の帰路が待っていた本日、みん友さん達と ドキッ! ポルシェだらけの箱根TRG へ行ってきました。(←古過ぎて、元ネタが分からん)


今回のTRGも、みん友の HulaHawaii さんが企画してくれたTRGでございます。


HulaHawaii さん、今回も楽しいTRGを企画して頂き、ありがとうございました。


ただ、今回のTRG、ちょっと変わった趣向のTRGでした。


「赤の差し色が欲しいから、964で来てよ!」という依頼を受けて……カラーリングを気にする TRG? 一体、どんなTRGなんでしょうねー?(笑)





楽しみにしていたTRGでしたが、先週あたりから ちょっと、いや、かなり心配な事がありました。


それは……


当日の天気です!


(写真は、先週の日曜日、「箱根時感」を出た直後の 雨の国道134号)


私が参加したから雨が、なんて事になったら……





しかし……


晴れたぜいっ!




七里ヶ浜からも富士山がクッキリ!


オマケで江の島。




国道134号を西に走っていると、暫くは富士山が正面に見えています。



ただ、富士山に見とれていると、目的地を通り過ぎる危険性があります。(危ねぇ、危ねぇ……)


目的地はこちら。



茅ヶ崎サザンビーチ駐車場であります。


色合いを気にした結果。(笑)




台数多過ぎで、全景が撮影できません。(爆)



全車 入れようとしたら、車が小っちゃくなって何の車だか分からくなっちゃう……。(汗)






これだけの台数となると、行く先での駐車場所が確保できるかどうかが心配でしたが……


予感的中!


箱根ターンパイク入口は、サニートラックのグループが集まっていて停まれません。


入口駐車場はスルーしてターンパイクを登っていき、御所の入 駐車場へ。


こちらも 他のグループがいて、なんとか停めたものの、見栄えを考慮して整列させるなんて余裕は有りませんでした。(汗)


(先客には空冷ポルシェのグループも居て、「あれっ、こっちのグループでもいいんじゃね?」などと思ってしまいましたが…)





大観山はさらに大混雑。


並べるどころか、停めるところが無えっ!




まー、これだけ天気がいいと、考える事はみんな同じで、そりゃ車も集まっちゃうよねー。







全員が停められそうな 箱根エコパーキング へ移動。


ここで、ようやく空冷ポルシェを並べることが出来ました。\(^o^)/




ちなみに、この2台は、今回の参加者の中で最年少の けーろん くんより年上でした。(汗)


でも、自分が生まれる前の車の話題で盛り上がれる……


いやー、車って本当にいいものですね!(←もうええっちゅーんじゃ!)






その後は芦ノ湖スカイラインㇸ移動。


三国峠の碑ある駐車場は車でいっぱいの為、隣のスペースに集まりました。




駄菓子菓子!


碑がある方の駐車場の方がいいっ! と申す参加者がおりまして……。(汗)


大勢の先客がいる駐車場に1台、また1台と 徐々に侵食していくポルシェ軍団。(爆)


そして……


占領完了!(爆)



先客の皆様、三国峠で愛車と富士山の写真を撮りたかった方々、ご迷惑をお掛け致しました。m(_ _)m


ここでも空冷ポルシェを並べてみました。









この後、そのまま帰る方々、昼食に向かう方々に分かれ、私は 遅めの昼食にいく組でした。


蕎麦屋できのこ蕎麦を食しつつ、「カレーはどこでも外れは無いよね!」などという何故 蕎麦屋で? という会話を交わしながら、この後の帰路のルートを皆様が気にしておりました。


そりゃ、箱根がこれだけ車で混雑していましたから、東名だって混む筈……えっ、事故渋滞? 通行止め!?


ここから皆さんが帰路ルート決定までのお悩みタイム。


ちなみに、私には もはや『西湘バイパス→国道134号』以外の選択肢はありません。


すると、「東名がダメだと、小田厚もダメだ。俺は 西湘バイパス、国道134号で、逗子から横横、湾岸で帰る」と仰る方が……。


でも、やっぱり 考える事はみんな一緒なのですよねー。



西湘バイパスも絶賛渋滞中でした。(汗)





結局、箱根から逗子まで帰るのに3時間を要しました。


ただ、他の皆様はそこからさらに先があったので……


本日、TRGでご一緒した方々、ありがとうございました&本当にお疲れ様でした。
Posted at 2021/10/24 23:59:30 | コメント(7) | トラックバック(0) | Porsche・964 | 日記
2021年10月23日 イイね!

雨男返上! リバイバルカフェで車変態爆発!!

雨男返上! リバイバルカフェで車変態爆発!!本日は 連載中(笑)の「トヨタ自動車物語」をお休みして、自分のカーライフに関するブログを書かせて頂きます。(自分のカーライフ…略して“じぶカラ”?)


月曜日のブログに対するコメントで、「皆んなが晴れて欲しいと願う週末土日の天気」こそが重要で、「平日の晴れは関係ありません」と言われてしまいましたが……


週末でも晴れたぜっ!




今度こそ雨男返上だねっ!


「今日、出掛ける予定あったの?」


いや、午前中に用事があってね……






もし、出掛ける準備を始めた途端、空が一天にわかにかき曇り……なんて事になったらダメージでか過ぎで立ち直れなかったかもしれませんが、幸いにも雨雲が湧く事はありませんでした。(汗)


ただ、昼頃から出掛けるとなると、湘南近辺は渋滞が始まっており、遠出しようという気にはなりません。(箱根の混雑はもっと凄かったようですね)


近場で車で行くところ?


やっぱ、ココかなっ!?

alt
(写真は 今年の2月22日、リバイバルカフェを初めて訪れた時のもの)





実は、リバイバルカフェ行きは 先週のリベンジでもあります。


土曜日のコントの様な状況だけでは飽き足らず(?)、日曜日にも雨を呼んだ(?) タケラッタ。


日曜日は、葉山時感の後にリバイバルカフェにも行ったのですが、店長に「さっきまで『小降りになってきましたね』って話していたんですけど……」って言われました。(T-T)


土曜日の経緯を説明したうえで、“傷口に塩を塗られた” と言ったら、「もう、唐辛子あたりかもしれませんね(笑)」だって……


「もしかして、この子が雨車なのでは?」と言いながらジュリアを指さされましたが、それは単に 雨の中を走らせるとなると どうしても4ドアセダンのジュリアとなってしまうだけで、ジュリアに乗ったから雨が降り始める訳ではありません。


むしろ、ジュリアを青空の下で走らせてあげられていないんじゃないか?


ならば、今日 この青空の下をジュリアで走らねばっ!


そして店長に陽の光に輝くジュリアを見せつけなくてはっ!!





リバイバルカフェに到着すると、先客の中に赤いジュリアがいました。




「おっ、隣が空いてるな……横に並べるか!」


しかし……




あれっ、なんか居るような……

( ゚д゚) ・・・

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚) ・・・




(つд⊂)ゴシゴシゴシ

(;゚Д゚) …!?


居たーっ!(汗)




小っちゃくて(低くて)見えなかった。(笑)


仕方なく、超遠距離2ショット。(汗)








しかし、本当にいい天気です。



店長に「どうです? 雨男じゃないでしょ?」と言うと


「タケラッタ(の本名)さんの顔を見て、思わず外の天気を確認してしまいました」だって。


だから、雨男じゃないって!(汗)


さらには、注文の時、オーナーのM崎さんも私の顔を見るなり窓の外を……


だから、雨男じゃないって!! ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!





本日のランチは……もはや定番のサンドイッチ。



糖尿病持ちには揚げ物(フライドポテト)が気になりました。(これくらいなら大丈夫?)


食していると、ボルボのお客さんが出て行きました。


チャーンス!


紅白のジュリアを並べられました。\(^o^)/




この後、ベローチェのオーナーさんと話をさせて頂きましたが……俺の車のボンネット、浮いてね?



前から「チリが合って無いなー」とは思っていたのですが、「まぁ、これがイタリアン・クオリティか」で済ませていました。


でも、さすがにこれは無いよなー。


今度、CARBOXに行って見てもらおっと!




なお、ベローチェ・オーナーと話をしていると、店長がスマホを持ってしきりに写真を撮っていました。


紅白のジュリアを?


いえ、コチラです。(笑)



初代セリカ・クーペです。(近々「トヨタ自動車物語」で登場予定♪)


やっぱ、我々世代には刺さる車ですよねー。


「いや、タケラッタ(の本名)さんより10歳ほど若いですから(笑)」


さらには、ベローチェ・オーナーに至っては「父が乗っていました」って……


えー、えー、どうせ世代が違いますよっ!


でも、違う世代の男たちが、同じ車の話題で盛り上がれる……


いやー、車って本当にいいものですね!(←古っ!)





もちろん、同世代ならばさらに盛り上がれます!


コチラのオーナー様ともお話をさせて頂きました。




某みん友さんが“あがりの車”と目している車であり、ロータス系という事もあって私も気になる車ではあります。


ですが……


この車の変態度はエキシージ以上だわっ!(爆)





リバイバルカフェに集まる人は、みんな とんでもない車変態でした。(笑)


怖いですねえ、恐ろしいですねえ


では、また来週お会いしましょう


サヨナラサヨナラサヨナラッ!
Posted at 2021/10/23 22:04:47 | コメント(4) | トラックバック(0) | リバイバルカフェ | 日記
2021年10月22日 イイね!

トヨタ自動車物語 「パブリカとカローラ」

トヨタ自動車物語 「パブリカとカローラ」中村健也らが開発したクラウンの登場によって、乗用車は外国製(もしくは外国メーカーの車)が当たり前だったものが、国産車に置き換わっていきました。


しかし、それはタクシー需要であったり、会社の社長などの ごく一部の富裕層のものという状況に変わりはありませんでした。


そんなタクシー需要も、中型がトヨタのクラウン、小型が日産のダットサンが占めており、トヨタは小型タクシー用にコロナを開発(1957年)。


このコロナが次第に一般ユーザー層にも食い込んでいき、ダットサンの後継であるブルーバードと熾烈な販売競争、いわゆる『BC戦争』を繰り広げるようになっていくのでした。


その一方で、通産省の国民車構想に沿った、安価な軽自動車も現れ始めました。


1958年、富士重工からスバル360が発表され、頑張れば一般家庭でも車が持てる時代となっていきます。








この国民車構想に対するトヨタの回答が パブリカ でした。



もっとも、トヨタにしてみれば、パブリカの開発スタートが国民車構想よりも前(当時の技術担当専務だった豊田英二が、500~600cc級の前輪駆動大衆車の開発を提案した)なので、国民車構想が後からついてきただけなのでしょうけど……


トヨタは、パブリカを軽自動車にはしませんでした。


軽自動車には税制上の優遇があり、購入や維持に掛かるお金を節約できたのですが、寸法上の制約は避けられません。


トヨタは、軽自動車の制約は受けず、しかし、軽自動車並みの経済性をもつ車の開発を目指したのです。





しかし、さすがのトヨタでも、軽自動車並みの経済性を持つ普通車など、容易に開発出来る筈もありませんでした。(正確には、「軽自動車並み」ではなく「国民車構想に沿った」車ですが…)


いくつかの試作車の量産を断念した後、長谷川龍雄を主査に任命し、大衆車開発を進めていく事になりました。



長谷川は、前回のブログにも登場した 中村健也の下で初代クラウンを開発したメンバーの一人で、戦時中は立川飛行機の設計主務をしていたエンジニアでした。


当初、この大衆車は「空冷二気筒」「車重700kg」「駆動方式はFF」で開発が進められていました。


飛行機のエンジニアだった長谷川にしてみれば、空冷エンジンはお手の物、またボディの強度を保ちつつ軽量化を図るというのも飛行機エンジニアが得意とする分野だったでしょう。


フル・モノコック構造を採用したボディは、空力性能生産性も考慮されていました。


同時に開発されていたトヨタスポーツ800に至っては、飛行機並みの空力性能を誇る車になっていました。




この大衆車に積まれるエンジンは、当初は500~600ccの排気量で考えられていたものの、「じきに到来するハイウエイ時代に時速100キロで安全巡航するには、最大出力の7~8割でなければいけない」という長谷川の持論により、700ccとなりました。


その一方で、満足できる等速ジョイントが無い事から、長谷川はあっさりと前輪駆動を捨て、コンベンショナルなFRへと改めてしまいます。(FFは豊田英二さんの肝入りだったのに……)


ここでFFを諦めたトヨタは、国産メーカーで最もFF化に慎重なメーカーとなったのですが、これはまた別の機会で。






長谷川の拘りが詰まったこの車は、国民車を意味する英語「パブリック・カー」からの造語で パブリカ と名付けられ、1961年6月に発売が開始されました。




販売価格の38.9万円は、軽乗用車並みかそれ以下という安さ。(これは、大量に売れば収益も出るという 戦略的な価格設定でした)


極めつけは、パブリカ専用の販売チャンネル(パブリカ店、後のカローラ店)まで用意するなど、トヨタの力の入れようは凄まじいものでした。


しかし……


パブリカは思ったようには売れませんでした。


売れない理由は、あまりにも経済性を追い求めた事で、内外装が質素過ぎた為でした。


既に、日本国民にとっては、車は『夢のマイカー』ではなく『成功の象徴』であり、所有するだけで満足できるものではなくなっていたのです。






しかし、パブリカの失敗は無駄には終わりませんでした。


“ユーザーは軽自動車よりも少し上のクラスを求めている”


トヨタ、そして ライバルの日産も 1.0リッタ―クラスの大衆車を開発する事となります。


そして、一足早く 1966年4月23日に 日産からサニーが発売されました。



税法上の区切りとなる、1000ccのエンジンを搭載したサニー。


そのサニーから遅れる事 約6ヶ月、1966年11月5日に カローラが発売となります。


カローラのエンジンは、何故か 税法上 1クラス自動車税が高くなってしまう 中途半端な 1100cc(厳密には 1077cc)でした。




しかし、この中途半端な排気量にこそ意味が有り、100ccに込められた意味が分かるのが、有名なキャッチコピー「プラス100ccの余裕」なのです。




この「プラス100ccの余裕」は、他より上という優越感に浸れることからカローラは大ヒットしました。


これは、パブリカに続いて主査になった長谷川が パブリカの失敗から得た教訓で、「80点+α主義」によるものだったのです。(あらゆる部分でその時代の基準から見て80点のものを確保しつつ、プラスアルファで魅力的な先進的技術も導入する)




カローラは、同クラス初のフロアシフトや、日本車初のマクファーソン・ストラット式の採用などもありましたが、パブリカに比べると技術的な先進性は然程ない車でした。


しかし、ヒットするには技術的な先進性よりも、ライバルより高級感がある事のほうが大事であることを知らしめた1台でした。


この時 生まれたカローラとサニーの関係は、結局サニーの名が消滅するまで続き、カローラは 1969年度から2001年度までの33年間、車名別日本国内販売台数第1位を維持し続けたのです。(ちなみに、1位の座を譲ったのはサニーではなく ホンダのフィットでした)


なお、排気量アップ(プラス100cc)に関しては、日産がサニーを1000ccで開発していると知った、「販売の神様」と呼ばれた当時のトヨタ自販社長 神谷正太郎が、販売戦略上必要と判断し、要請したものだったそうです。







カローラは、1997年に累計販売台数でフォルクスワーゲン・ビートルを抜き、ギネス世界記録を樹立 。


2013年には世界生産台数累計4000万台を達成、今もなお、世界中で生産され続けています。


今でこそプリウスやヤリスに1位の座を譲っていますが、トヨタの最多量販車といったら、やはりカローラだと思ってしまいますね。


そして、カローラのネームバリューは、日本人が考えている以上に高いものがあり、海外でのカローラのネームバリューは絶大なのです。


それだけに、最近 トヨタからも旧い名前の車が消えていっていますが、カローラだけは無くせないでしょう。





パブリカの失敗を糧に、世界一となったカローラを作った長谷川さんは、この後 日本初のスペシャリティカー、初代セリカ&カリーナの開発主査も担当する事になります。


長谷川さんも、トヨタにおける伝説のエンジニアの一人だと思います。


しかし、昔の自動車メーカーの開発者って、元飛行機屋が多いねぇ。


もし、GHQが飛行機作りを禁じていなかったら、今の自動車王国 日本は無かったかもしれませんね。
Posted at 2021/10/22 20:11:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | TOYOTA | 日記

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何シテル?   06/20 04:32
タケラッタです。 子供の頃からの夢、ポルシェを手にしただけでは飽き足らず、遂にロータスまで買ってしまいました。 実用性はないかもしれないけれど、運転する事自...
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