
1971年、アバルトはフィアットに買収され、フィアット傘下の子会社となりました。
まぁ、元々フィアット車を使ったチューニングカーを製作していましたから、資本関係が無かっただけで、関係は深かったのですがね。
ただ、子会社となってからは、一層関係性が深くなりました。
フィアットグループの自動車競技部門としてレーシングカーやラリーカーと言ったマシン開発に携わったのです。
まずはラリーカー。
フィアット 131ラリー
あまりにも平凡な3BOXセダンで「これがラリーカー?」と思われそうですが、実は あのランチア・ストラトスの後継となったワークス・ラリーカーです。
131ラリーの後、再びラリーフィールドに戻ってきたランチアのマシンにも、アバルトが関わっています。
ランチア・037ラリー
WRCが四駆に席巻されつつある頃のマシンで、最後の2WDのチャンピオンマシンです。
この車そのものは有名ですが、ベース車両(ランチア・ベータ・モンテカルロ)を知っている人は意外と少ない…。
ランチア・デルタS4
プジョー205ターボ16が持ち込んだ、ミッドシップ4WDターボという化け物マシンを、見た目は平凡な2BOXハッチバックのボディに押し込んだ車で、デルタS4はターボ&スーパーチャージャーで武装した車でした。
ただ、過激になり過ぎたグループBマシンは重大事故が多発し、デルタS4が本格的に活躍する前に、レギュレーションでグループB自体が廃止されてしまいました。
グループB から グループA に競技車両が切り替わっても、アバルトが関わり続けます。
ランチア・デルタ HF インテグラーレ
WRC6連覇という偉業を成し遂げた車。
ただ、ライバルとして日本車勢(インプレッサ、ランエボ、セリカ)が力をつけてくると、さすがに設計の古いデルタでは勝てなくなり、ラリーフィールドから消えていきました。
フィールドをサーキットに移しても、アバルトの技術が入ったマシンが駆け抜けました。
世界耐久選手権でポルシェ956と戦ったグループCカー。
ランチア LC1
「あれっ、グループCなのに、オープン2シーターなの?」って思った方、鋭いです。
1982年から、世界耐久選手権は新規定のグループCへと移行したのですが、初年度に限り エンジン排気量が2リットル以下という制限はありましたが 旧グループ6相当のマシンの参戦も認められていました。
LC1は、1.4ℓターボ(ターボ係数1.4 を掛けると 2.0リットル扱い)という小排気量エンジンでポルシェ956と戦ったのです。
小排気量エンジンというのがアバルトらしいですね。
まぁ、たった1年しか参戦出来ない、ルールの隙をつくような車での参戦っていうのが、イタリアらしいといえばイタリアらしいですが。
ランチア LC2
LC1はレギュレーションの隙をついたマシンで、まずまずの成績を上げますが、旧レギュレーションとも言うべきLC1での出走が許されるのは 1982年の一年間のみ。
1983年からは、完全なグループCマシンである LC2を投入しましたが……残寝ながら耐久王者のポルシェ(956)には全く歯が立たず、ワークスとして参戦した1983~1986年で僅か3勝と目立った成績を挙げることは出来ませんでした。
やっぱり、小排気量でないとダメなんですかね?(汗)
この時期のツーリングカーの代表車種と言えば、DTMを戦ったこのマシンでしょう。
アルファロメオ 155(DTM)
本来、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)なのでドイツ勢で戦うレースだと思うのですが、そこに突然イタリアからアルファロメオがやって来て……
本来 FFの155を4WDで成立させた訳ですが、恐らくラリーカーのランチア・デルタの技術が使われているのでしょうね。
この辺が、アバルトが関わっている利点なのでしょう。(本来、ランチアとアルファロメオは別のメーカーですからね)
アバルトの名は、ラリーフィールドやサーキットで轟きました。
しかし、今はレース用マシンというより、市販車の方が有名ですよね。
その切っ掛けとなったものは……次回に続く。(笑)
Posted at 2022/07/25 23:36:37 | |
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