2015年03月21日
今日はアイルトン・セナの誕生日(その1)
今日は3月21日。
アイルトン・セナの誕生日です。
存命なら55歳になっていました。
みんカラ ブログでも何回か書いていますが、私はアイルトン・セナの大ファンであります。
今でも、「史上最速のF1ドライバー」と言えばアイルトン・セナ、「史上最高のF1ドライバー」と言えばアイルトン・セナ、だと思っています。
私がアイルトン・セナの名を知ったのは、彼がまだイギリスF3の頃でした。
20戦中12勝(開幕9連勝!)という当時の最多勝記録でチャンピオンを獲得、その年に初開催となったマカオGPでも優勝。
そんな彼を、まだモータースポーツ報道が珍しかった日本でも、将来のF1ワールドチャンピオン候補と報じていたのです。
もっとも、私がその報道を覚えていたのは、将来のF1ワールドチャンピオン候補だったからではなく、その長い名前からでした。
エイトン・センナ・ダ・シルバ。
当時Ayrton Senna da Silvaを日本語にすると上記のようになったんですね。(笑)
ちなみに、彼がセナを名乗り始めたのがF3参戦シーズの途中から。
父方の姓「ダ・シルバ」ではなく母方の姓「セナ」を表向き名乗るようになったのですが、ランキング・トップのダ・シルバの名が参戦リストから消えた! と驚かれたようです。
シーズンはじめからセナの名で参戦していれば、そんな事もなかったでしょけどね。
(もっとも、そうしていたら、私が長い名前が印象に残って…って事もなかったでしょう)
翌年、セナはF1に参戦します。
当時、イギリスF3と言えばF1昇格への王道、そこで最多勝記録でチャンピオンを獲得したセナは鳴り物入りでF1へと行けた筈でしたが、チームのエースドライバーがセナと組むのを嫌ったりして、トップチームから参戦する事はありませんでした。
結局、弱小チームのトールマンから参戦する事になります。

後にベネトン、フェラーリでチャンピオンマシンを作り上げるロリー・バーンによって設計されたトールマンTG184は、二段ウィングという革新的なマシンだったものの、プライベート・エンジンビルダーのハート製エンジンのトラブルにも悩ませられます。
そんなマシンでも、第6戦モナコGPでは、予選13位から雨の中を2位まで追い上げますが、トップのプロストを捉えんばかりの時に、大雨の為に途中でレースが終了してしまいました。セナはヨーロッパ人がブラジル人の自分に勝たせる前にレースを終えたのだと考えるに至ります。そんな思いが東洋から挑戦するホンダにシンパシーを感じたのかもしれませんね。
(続く)
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アイルトン・セナ | 日記
Posted at
2015/03/21 12:09:55
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