
最近、車以外のネタをブログにすることが何回もありました。
私自身が社会の荒波にもまれる中、世間で起こっている出来事に対して「社会は甘くないぞ!」という思いが沸き起こって、何かコメントしたくなったのです。
日中、暇になって、ワイドショーを眺める事が多くなったのも、その状況に輪をかける事になったかもしれません。
「勝手な思い込みで、何十人もの前途有望な人々の命を奪うんじゃねえ!」
「一般社会じゃ、反社に関わったら、即アウトだ!」
「会社に文句があるなら、直接言え! 公共の電波を使ってんじゃねえ!」
「ギャラが安い? そんなの、会社に利益を与えられるようになってから言え!」
実は、上記の話題で、公開していない、下書きまでのブログが結構有ったりします。
ただ、こんな話題はみんカラで書くべきじゃないし、そもそもSNSで会社の待遇に文句を言ってる吉本芸人たちにイラついてる自分が、その芸人たちと同じ事をすることになるので、公開は思い留まりました。
また、ちゃんと車の話題を書かなきゃという思いが、必要以上のペースでブログを更新したり……落ち着かなきゃイカンですね。
そんな事を言いながらも、今回は車以外の話題です。
以前、
身障者に関するブログを書きました。
そのブログも下書きに留めておくべきか? とも考えたのですが、「やまゆり園事件」の風化と、身障者に関して逆差別な状況が発生している事に意見しておきたくて、ブログを公開致しました。
そのブログでは、第三の話題として、途中まで れいわ新撰組の重度障害者の当選についても書いていました。
ただ、正式なルールに則って当選された方々に対して、色々と意見すべきじゃないかな、とも思い、ブログ公開時には削除しました。
でも、やはり、同じように考える方はいらっしゃったようで、そんな記事を紹介します。
『山本太郎氏はポリコレ利用の逆差別:障害者の立場からの異論』
記事は、身体に障害がある方が書いたもので、重度障害者を参院選の比例上位に擁立した山本太郎氏の手法を批判したものです。
この方は、実際に負ってしまった障害と、実社会に於いては障害を理由に結果を出せない事は通用しない事を、その経験を以って述べられています。
私がブログから削除した内容は、まさにこの方が記事に書かれている事で、健常者が言葉にすると障害者差別だと非難の対象になりかねませんが、障害者からの言葉ならば説得力があります。
「障害者には優しくしてほしい。これはたしかに間違いはありません。
だからこそ、責任の発生しない立場で活躍できる場所を作ってあげることがホントの優しさではないだろうか?」
「障害者が健常者と同じ立場で働くつもりなら、健常者と同じ結果を求められるぞ!
障害者だから仕方ないよね…なんて言い訳は出来なくなるんだぞ!」
記事の中では、山本太郎氏について「障害者の事など、まるで考えてなく、自身の悪目立ちの手段として利用してるだけだ!」とまで言っています。
ちょっと言い過ぎのような気もしますが、少なくても私は、まずは山本氏が比例の一位にいて、発信力のある自分が障害者の意見を代弁した方が良かったと思います。(個人的には、山本太郎は好きじゃないけどね)
記事の中では、こんなことも言っています。
「仮に今回の選挙で、ふなごさん、木村さんが選挙区で立候補したなら、票を託す人が居たでしょうか?
これは、差別でもなんでもなく、自分の思いを託して代弁してもらおうと思ったでしょうか?」
はい、私も同意見です。
厳しいようですが、重度障害者のお二人には、同情票が少しばかり入ったかもしれませんが、当選するほどの得票数は望めなかったでしょう。
れいわ新撰組への票は、山本氏と、その政治信条への投票であった筈です。
記事の最後では、逆差別によってマジョリティ側の意見が通らなくなる現状が、同和、在日、マイノリティ差別、女性差別にもあると書いてあって、ちょっと行き過ぎかなとも思いましたが、言いたい事は分かります。
前回の、
身障者に関するブログにも書きましたが、プロならば、その世界に求められるスキルに関しては、障害をいい訳には出来ないと思うのです。
マスコミは、カナダにもALS患者の議員がいたと、舩後氏の当選があってから報じるようになりましたが、モーリル・ベランジェ下院議員は、議員に立候補した時点では、まだ発症していませんでした。8期にわたる議員生活の中で発症し、次第に意思表示が難しくなっていきますが、当選できたのはそれまでの実績があったればこそ。また、iPadを使って打ち込んだ文章を自動音声で読み上げる機能で意思表示を行っていたのです。
ALSで思い出されるのが、物理学者 スティーヴン・ホーキング博士ですが、博士にしてもコンピュータによる合成音声を利用して意思伝達は行えていました。
失礼ながら、舩後氏は国会議員としての意思伝達は可能なのでしょうか?
介助者による意思伝達も否定するつもりはありませんが、国会議員としては「弁が立つ」のは必須条件だと思います。
ホーキング博士は、合成音声であっても、聞く者の心を捉えられておられでしたよ。(よくジョークも仰られていました)
障害を理由に排除してはいけないとは思います。
しかし、障害を理由に、結果を出せないことが許されるべきではありません。
お二人は、重度障害者というハンデを乗り越えて、真っ当な議員にならないと、今後、障害者が議員になる道が閉ざされてしまうかもしれません。
お二人に、その覚悟があったのでしょうか?
厳しい言い方かもしれませんが、国会議員になる事を甘く考えてはおられないですかね?(まー、杉村太蔵よりはいっか)
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Posted at
2019/07/30 22:05:30