
えーと、「その “いくつ”」まで書けば終わるかな?(汗)
本日も、トヨタのル・マン挑戦ストーリーです。
グループC規定の終了で、トヨタは一旦 ワークス活動を終了します。
ル・マンは、GTカーが中心のレースになりましたが、トヨタの量産車ベース(MR2やスープラ)のレースカーでは勝負になりません。
そこでトヨタは、ル・マンで勝てるGTカーを開発する事にしました。
そして、その車を引っ提げて、トヨタは3年ぶりにル・マンへと戻ってきたのですが……
1998年 トヨタ・GT-One (TS020)
いやいや、色々とおかしいでしょ!
GTカーだよね?
基本は量産車でしょ?
これのどこが量産車なの?
量産車としてではなく、レーシングカーとして見ても、相当エグい構造してるよね?
フロントフェンダーの内側には大きな開口部が有って、タイヤが半分近く露出してるし……
ボディサイドも、空気の流れが最優先でボコッと大穴が開いていて、量産車のそれとは思えない。
だいたい、量産車の証としてトランクスペースの存在が必要だった筈ですよ!?
これの何処にトランクスペースが有ると言うんですかっ!?
(何でも、トランクスペースに燃料タンクを設置しても構わないというルールを逆手に取って、燃料タンク位置を「ココがトランクだ!」と主張したらしい)
今までトヨタのル・マン挑戦時のパートナーはトムスでしたが、このGT-One(型式名はTS020)からは、ドイツのTMGが担当しました。
TMG(Toyota Motorsport GmbH)、旧いモータースポーツファンなら TTEと言った方が分かり易いですが、“ラリーの神様”と言われたオベ・アンダーソンが率いる部門で、それまではラリー屋のイメージがあった為、私には当初違和感がありましたけどね。
しかし、アンドレ・デ・コルタンツが設計したGT-Oneは、ラリー屋のイメージを覆す、ライバルと比べてもずっと先進的なレースカーでした。(あ、一応 規則を満たす為に、公道仕様も生産されたそうです)
エンジンは、94C-Vの流れを汲む V8ターボ(R36V)に回帰。
これだけ尖った設計の車だけに、速さはピカイチでしたが、トラブルが……
出場3台(27、28、29号車)のうち2台がミッショントラブルで早々に優勝争いから脱落。
残り約1時間となるところまでトップを走っていた29号車も 3回目のミッショントラブルの時はピットまで戻って来れずに万事休す。(なんか、トヨタってこんなのばかりだなぁ)
結局、最後まで残った27号車が9位完走しただけに留まりました。
1999年 トヨタ・GT-One (TS020)
捲土重来!
2年目という事もあり、信頼性を増した(筈)のトヨタ・GT-Oneは優勝候補の大本命であり、それは3台のカーナンバー(1、2、3号車)にも表れていました。
無論、去年にも見せていた速さは健在で、予選ではフロントローを独占。
トヨタ圧勝とも思われたものの、意外やBMW V12 LMR、メルセデス・ベンツ CLRを引き離せません。
焦りからか、1号車、2号車と次々にクラッシュ&リタイア。
トヨタは、本来バックアップ役と考えていた3号車(1台だけ98年仕様)に総力を注ぎ、トップのBMW V12 LMRを追います。
一時はトップから周回遅れにされていたものの、ファステストラップを連発して猛追した結果、22秒差と言うところまで迫りました。
しかし、謎の動きをしたマクラーレン F1を避ける為にコース外を走行、その影響か、ユノディエールを 300 km/hオーバーで走行中に左後輪がバースト。
片山右京が何とかマシンをコントロールしてクラッシュを免れたものの、これで逆転の目は無くなりました。
ちなみに、マクラーレン F1には BMWのエンジンが積まれています。(だから何? って話ですが、当時は色々と噂が出ました)
なお、この年のル・マンは、ワークスだらけでした。
トヨタの他、前述の BMW、メルセデス、日産もR391で参戦しました。
この年からル・マンに参戦を開始したアウディに至っては、オープンコックピットのLMP 2台と、クローズドボディのLMGTP 2台という力の入れ様でした。
ただ、後述しますが トヨタはこの年でル・マン挑戦を一旦終了します。
そして、3日に渡って3度宙を舞うアクシデントを起こしたメルセデスも、この年を以てル・マンから撤退。
ル・マンが一番華やかだった年、それが1999年でした。
2000年 ……
トヨタがF1参戦を表明し、その開発部門となるTMGも F1の開発に移行する為、トヨタのル・マン挑戦は 1999年を以て一旦終了となりました。
前年の覇者 BMWも、F1挑戦(ウィリアムズ・BMW)に専念する為、ル・マンから撤退。
メルセデスも前述のアクシデントを期に撤退、日産も本業の経営不振を理由に撤退と、前年のワークス勢花盛りから一転、アウディしかワークス参戦は無くなってしまいました。
既に、1998年に耐久王者のポルシェもワークス参戦から撤退しており、前年の1999年からル・マンに参戦を開始したばかりの新参者のアウディは、いきなり ル・マン24Hレースを背負って立つ存在になってしまったのです。
アウディは、その責任を全う、18年間に渡りル・マンに参戦、13度の優勝を飾る “新”耐久王者となっていくのです。
今回も終わらなかった……
-つづく-