
今日 1月3日は、大黒PAは大変な状況だったようですね。
実は我々も、当初は「1月3日は大黒PAに集まろうか」てな事を仲間内で話していたのですが、「いや、1月3日は車が集まり過ぎて閉鎖になるかもよ?」ってどなたかが仰っていたので、急遽 1月2日に変更していたのでした。
お陰で、昨日は落ち着いて新年の挨拶が出来ました。(笑)
そんな、新年の挨拶を交わした人の中に「トヨタの連載ブログが終わったけど、次は何ですか?」とか言う人が……
いや、基本的に連載ブログを書く事にはなっていませんから……
「えー、次は“日野自動車物語”書いてくださいよー」
知るかっ、自分で書きなさいっ!
と言う訳で、今回はロータスです。(←結局、連載ブログ 書くんかいっ!)
皆さんは、ロータスという車(会社)にどんな印象を持っておられますか?
アラフィフ世代の方々は“サーキットの狼”ですかね?
それより上の世代は、ジム・クラークが駆るロータス F1?
さて、そんなロータスを作り上げた人物というのが、創業者 コーリン・チャップマンです。(写真右)
1947年、大学生だったチャップマンは、旧いオースチン・セブンをベースにしたレーシングカー製作を思いつき、実行に移します。
作業は、チャップマンのガールフレンド、ヘイゼル・ウィリアムズの家のガレージで行われました。
そのレーシングカーは、翌年の1948年に完成、チャップマンらの記念すべき第一号車となったのです。
(写真のMk1はレプリカ)
さらに翌年の1949年には、モアパワーを狙った次モデルも製作、この時 初めて“ロータス”という車名を名乗りました。(ロータス Mk2)
当時のロータスは、まだ会社の形態ではなく、ガレージで車を弄っているだけの、文字通りの“バックヤードビルダー”でした。
自らが駆るレーシングカー造りから、レーシングカー製造販売を目指したチャップマンは、1952年1月1日にロータス・エンジニアリングを設立したのです。
それまでのワンオフモデルから、量産を想定したモデルとなったその車はMk 6と呼ばれました。
あれっ、何かに似てますね。(笑)
そう、ロータス・セブン(スーパー7)は、レーシングカーであるMk 6の流れを汲む量産スポーツカーとして生まれた車なのです。
量産スポーツカーを製作する事になった為、量産車の開発&生産を受け持つ会社として「ロータス・カーズ」が興され、「ロータス・エンジニアリング」と共にロータス・グループを形成する事になったのでした。
ロータス・7(スーパー7)以降の市販車の話は次回に取っておくとして、本ブログでは黎明期のロータス社、及びチャップマン一族について触れておきましょう。
ロータス・グループの経営は、会社設立当初に名を連ねていたアレン兄弟がロータスを離れてしまいますが、チャップマン 及び その婚約者であるヘイゼルが取締役となり、チャップマン一族で経営を担う事となります。
なお、この時、新たにエンジニアとしてマイク・コスティンがロータスに加わっています。
なんか聞き覚えがある名前だと思ったアナタ! 変態です!
もといっ、正解です!
マイク・コスティンは、後に 同じくロータス入社したキース・ダックワースとともにコスワースを立ち上げる事になる、伝説的人物の一人です。
さて、話をロータスに戻すと……
タイトル画像のロータスのエンブレムの中央部、LOTUSの文字の上にあるゴチャッとした(汗)部分は、創業者であるアンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン(
Anthony
Colin
Bruce
Chapman)の頭文字であることを知っている人も多いでしょう。
え? 知らない? ウソーん!(←いや、みんながみんな車変態じゃないからっ!)
ちなみに、何故 ロータスについて書こうと思ったかというと……
先日、コーリン・チャップマンの妻で、共同創業者でもあるヘイゼル・チャップマンさんがお亡くなりになりました。(享年94)
Web記事の中には『ロータスの母』と書いてあるところもありましたが、まぁロータスの第一号車が生まれた場所が ヘイゼルさんの実家ガレージですから『ロータスの母』という名は過言ではありません。

(ロータス Mk1に乗るヘイゼルさん)
また、当然経営からは離れておりましたが、正式発表前の最新ロードカーをヘイゼルさんに見せる事が、ロータス伝統になっていたそうです。
“ロータスの母” ヘイゼル・チャップマンさんのご冥福をお祈りいたします。
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Lotus | 日記
Posted at
2022/01/04 01:51:33