
遂に禁断のネタに手を出してしまいました。
昨日のブログでも書きましたが、ポルシェに関しては一家言ある人が沢山いらっしゃると思います。
単なる車オタク程度の知識で書いていいものだろうか?
そんな浅い知識で書いちゃったら、激しいツッコミが来るのではないか?
そんな事を考えたら、とてもブログに書けるものではない……
ただ、それはロータスも同じです。
ロータスに関しても、深堀りするといろんなツッコミを受ける気がして、ブログ化を避けていたのですが、この前、書いてしまった。
こうなったら、ツッコミ覚悟でポルシェに関しても書いちゃいます!
ポルシェという名前が、創業者の名前であるという事はご存じの方も多いと思います。
創業者の名前は、『フェルディナント・ポルシェ』。
「20世紀最高の自動車設計者」とも評される天才技術者です。
ポルシェ博士が設計した車として有名なのが、フォルクスワーゲン・タイプ1です。
フォルクスワーゲン・タイプ1
後にビートルと呼ばれる事になる、世界初の国民車と言って良いでしょう。
この車の登場により、一般市民が自家用車を持てるようになったのです。
ポルシェ博士は ダイムラー(現在のダイムラー・ベンツ)で数々のレーシングカーを開発、経営陣との軋轢からダイムラーを辞し独立、コンサルタント会社を始めました。
そのポルシェ社に国民車の設計を依頼したのが、当時のドイツの政権を担っていたナチス、そしてヒトラーだったのです。
ポルシェ博士にしてみれば、ヒトラーは開発費を出してくれるスポンサーくらいに考えていたかもしれません。(V16+スーパーチャージャーをミッドに搭載したアウトウニオンのレーシングカー「Pヴァーゲン」も、ヒトラーが国威発揚の為に資金を出したからこそ開発が出来た)
アウトウニオン Pヴァーゲン
しかし、戦争が始まると、ポルシェ博士はドイツ軍の戦車などの設計にも携わる事になってしまいます。
その頃のフェルディナント・ポルシェ博士(ナチスの鍵十字が…)

終戦を迎え、ドイツは敗戦国となり、ポルシェ博士は戦争犯罪人として収容される事になります。
結局、フェルディナント・ポルシェは、自らの名を冠した初めてのスポーツカーである ポルシェ356の開発時には拘留されていた為、その開発に関わることは出来なかったのです。
息子らが設計した ポルシェ356 との2ショット。

しかし、そのポルシェ356も、フェルディナント・ポルシェが設計したフォルクスワーゲン・タイプ1が無ければ、決して誕生しなかった車なのです。
1950年11月、脳梗塞を発症したフェルディナントは、翌年1月30日帰らぬ人となりました。(享年75歳)
2年余りの収監生活で健康を害していなければ、まだまだエンジニアとして色々な作品を残せたかもしれません。
戦争は「20世紀最高の自動車設計者」の人生も翻弄したんですね。
ポルシェオーナーの皆様、アナタの愛車の名前は、この天才技術者の名前を冠した車だという事を心に留めておいてください。
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Porsche | 日記
Posted at
2022/01/20 23:33:23