
遂に書き始めてしまった連載ブログ「ポルシェ物語」。
まずは創業者である フェルディナント・ポルシェ博士について書きましたが、流れ的には、ポルシェの名を冠した初めての製品である
ポルシェ356について書く事になる訳ですが……
ハッキリ言って 356についてはあまり知らない為、多くは語れません。(汗)
なので、連載2回目にして 早くも Wikiのコピペ的ブログになっちゃいました。(笑)
第二次大戦が終わり、創業者 フェルディナント・ポルシェ博士が 戦争犯罪人として収監されてしまいますが、この時 ポルシェ社は、ポルシェ博士の息子の「フェリー」こと
フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェを中心としたメンバーにより、とある車の開発を行っていました。
ポルシェ356
フェルディナント・ポルシェ博士が開発したフォルクスワーゲン タイプ1を思わせる、リアに空冷水平対向4気筒エンジンを積んだ車は、創業以来 他社の車輌開発を請け負ってきたコンサルティング会社だったポルシェが、初めて自社の名前を冠して生産する車となったのです。
1948年6月に試作1号車が完成、車名の“356”は ポルシェ社内の開発コードであり、その後もポルシェ社の車は社内の開発コードを車名とする事になったのです。
VWタイプ1(ビートル)を思わせると書きましたが、実は 356よりも前、1938年に RRのスポーツカーを開発していた事があります。
それが
「フォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車」であり、
「ポルシェ64」です。


まあ、こちらは“速度記録車”であり、市販車ではありませんけどね。
話を ポルシェ356に戻しましょう。
当初は1.1ℓのエンジンからスタートした356は、1.3ℓ、1.5ℓとバリエーションを広げていきます。
1955年に356A型となると、4カム(DOHC)を搭載した“カレラ”が登場します。
(356A型から フロントウィンドウが曲面ガラスになりました)
その後も、1959年に356B型、1963年に356C型へと進化し、最終的に2.0ℓのエンジンを搭載したポルシェ356は 1965年まで生産されました。
そんな356の開発の中心にいたのが
フェリー・ポルシェでした。
ドイツを代表する技術者だった父を持つだけに、機械、そして 自動車が身近にあり、機械に興味を持ったフェリーは、自らも自動車エンジニアとなりました。
1931年4月、父 フェルディナントが興した自動車設計事務所
「エンジンと自動車、飛行機、船に関する設計、及びコンサルティングのためのフェルディナント・ポルシェの会社」にフェリー・ポルシェも加わります。
終戦後、父 フェルディナントが戦争犯罪人として収監されてからは、フェリーが会社の運営を行なうことになります。
イタリアのチシタリアから依頼された競技車両
「チシタリア・グランプリレースカー」(ポルシェ360)の開発を行う傍ら、自社ブランド初のスポーツカー ポルシェ356を開発したのです。
チシタリア・グランプリレースカー
1951年、フェルディナントが亡くなると、名実ともにフェリーがポルシェ社の代表となります。
そんなポルシェ社にフェリーの息子
フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(ブッツィー・ポルシェ)が入社、ブッツィーを中心としたメンバーにより 新世代のポルシェの開発が進んでいました。
-つづく-
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Porsche | 日記
Posted at
2022/01/22 06:18:03