
以前、F1のイタリア国籍チームについて触れましたが、
アルファタウリの前身とか説明していて、「あ、このネタは有りだな」と、下書きにつらつらと書き認めていました。
ちょっとばかり、公開が遅くなっちゃいましたが……。(汗)
F1チーム、通ぶって言えば “コンストラクター” ですが、フェラーリの様に F1開催初年度からずっと参戦しているチームもあれば、消えていったチーム、新規参入するチームなど、結構 出入りが激しかったりします。
モータースポーツの最高峰であるF1には、ドライバーだけではなく、コンストラクターとしても参戦してみたいと思うものなのでしょうが、F1で戦うには必要な予算も莫大で、経済的に続けられずに撤退の憂き目に遭うチームも多いのです。
そんな、厳しい世界に参戦している現在のコンストラクターの歴史について、簡単に説明してみましょう。
【フェラーリ】
上でも書きましたが、
フェラーリはF1世界選手権創設時から参戦し続けている唯一のチームです。
一応、フィアット傘下になったりと動きが無い訳ではありませんが、あくまでお金を出してもらうだけで、フェラーリはフェラーリであり続けています。
それだけ長くやっていれば、人によって「フェラーリと言って思い浮かぶのは?」と問われても 思い浮かぶ人、マシンが異なるでしょうね。
オールドファンには、ニキ・ラウダやジル・ビルヌーブでしょうし……
5連覇したミハイル・シューマッハ時代を記憶している方も多いでしょう。
フェラーリではその他にも、A・プロスト、N・マンセル、K・ライコネン、S・ベッテル等が走りましたが……やはりフェラーリと言えば 総帥エンツォ・フェラーリでしょうね。
エンツォ亡き後もスクーデリア・フェラーリは続いているのですが……その後はドタバタ続き。
シューマッハ時代の様に、イタリア人以外の 外部の人間が統率しないとダメなのか…。(その他、640シリーズも、ジョン・バーナードが英国にデザインオフィス“GTO”を設立して設計したしねぇ)
【アルファタウリ】
アルファタウリが 以前は
トロロッソと名乗っていた事、前身は
ミナルディである事は
以前のブログ で書きました。
そのミナルディは、
スクーデリア・イタリアと合併して
「ミナルディ・スクーデリア・イタリア」として参戦していた時期がありました。
スクーデリア・イタリアは、イタリアの実業家ジュゼッペ・ルッキーニが興したチームで、ダラーラ製シャーシ、そして1992年からはフェラーリ製V12エンジンを搭載したりと、まさにオール・イタリアといった感じのチームでした。

(見た感じ、まんまフェラーリって感じですが…💦)
ただ、当時は フェラーリ自体が落ち目だった為、成績は然程向上せず、成績不振の原因をダラーラ製シャーシと考えた結果、チームは翌年 ローラ製シャーシに切り替えてしまいます。
しかし、このシャーシ変更が完全に裏目に出て成績は低迷、F1への情熱が冷めていった結果、単独チームとしての参戦を終了し、同じイタリアチームのミナルディと合併、2年後には合併も解消し、F1から完全に撤退します。
ミナルディは、2001年に航空会社の社長のポール・ストッダートがチームオーナーになったあと、2005年シーズン終了を以てレッドブルにチームを売却、翌年からトロロッソになるのです。
チーム遍歴:
ミナルディ → トロロッソ → アルファタウリ
【レッドブル】
ミナルディを買収したレッドブルですが、ではトップチームの
レッドブル・レーシングはどういう経緯でチームを持ったのでしょうか?
レッドブルの前身は
ジャガー・レーシングです。
そのジャガーも、元は3度のF1王者 ジャッキー・スチュワート(と息子のポール・スチュワート)が興した
スチュワート・グランプリが源流です。
まぁ、どちらかと言えば、スチュワート・グランプリ自体が
フォードのF1参戦の為に興したチームであり、フォードが金を出して作ったチーム名を 当時の自前のブランドである
ジャガーに切り替えただけなんですがね。
なお、スチュワート・グランプリは、既存のチームの買収ではなく、下位カテゴリーのチームだったポール・スチュワート・レーシングを母体に 新規の参戦でした。
当時も、下位カテゴリーのF3000 とF1では技術レベルが大きく異なり、尚且つ F1は自前で開発しなければならない為、同様に新規参戦したチームは軒並み苦戦しておりました。
スチュワート/ジャガーも同様で、スチュワート時代に悪天候の荒れたレースで1勝したのみ。
この流れはレッドブル・レーシングになっても続き、初勝利を得るまでに5年を擁したのでした。
チーム遍歴:
スチュワート → ジャガー→ レッドブル
【メルセデス】
フェラーリのところで『F1世界選手権創設時から参戦し続けている唯一のチーム』と書きましたが、
メルセデスも F1参戦の歴史は古く、1954年から参戦しています。
但し、現在の
メルセデスAMG F1は、当時のチームとは異なります。
メルセデスは、戦前からモータースポーツに積極的に参加していたメーカーで、それ故、初期のF1世界選手権にも参戦する事となりました。
しかし、1955年のル・マン24時間レースで起きてしまった大事故を受け、それ以降、長きに渡ってモータースポーツに参戦することは無かったのです。
しかし、1990年代にエンジンサプライヤーとしてF1のフィールドに戻ってくると、2009年のチャンピオンチームの
ブラウンGPを買収、2010年から自らの名を冠したチームでF1復帰を果たしたのです。
という訳で、メルセデスの前身はブラウンGPなのですが、そのブラウンGPは、突然 F1撤退を発表した
ホンダが完成させていたマシンを引き継ぎ、メルセデスエンジンを載せた急造チームだったのですがね。
ホンダは、エンジンサプライヤーとしてマクラーレンと組んで黄金期を築きましたが、第3期は 僅か1勝に終わりました。
そのホンダは、
B・A・Rというチームにエンジン供給という形でF1に復帰、その後 チームを買収してオールホンダでの参戦となったのです。
B・A・R(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)は、スポンサーであるブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)から名を取っていますが、実質的に ジャック・ビルヌーブを走らせるために、ヴィルヌーヴのマネージャーだったクレイグ・ポロックが立ち上げたチームでした。
やり手だったポロックは、BATの2ブランドのカラーリングで走る事を画策しますが……
異なるカラーリングは認められず、初年度は止む無くこんなカラーリングでの参戦となりました。(汗)
なお、B・A・Rは 1998年に
ティレルを買収していますが、ポロックが欲しがったのはティレルが有していた参戦権のみで、1999年からのB・A・Rとしての参戦時には ティレルの施設やスタッフも引き継がず、マシンはレイナードに作らせていました。
なお、ティレルのスタッフの多くは、
同時期にF1参戦を画策していたホンダF1のスタッフになっていたのですが、ハーベイ・ポストレスウェイト博士の急逝などもあり、ホンダF1 は実現しませんでした。
チーム遍歴:
B・A・R → ホンダ → ブラウン → メルセデス
長くなってきたので……
-つづく-