
前回のブログが「下書きのまま積んでいたものの蔵出し」だったのですが、下書きのまま積んでいた理由はと言うと
「内容が多過ぎて纏めきれていなかったから」
でした。(汗)
そんな訳で、纏めきれなかった残りの部分を『連載ブログ』として、順次投稿していきます。(早い話、まだ纏めきれていない…)
F3000に ”毛が生えた様な” マシンで参戦を開始した弱小チーム「マーチ」のチーフデザイナーとなったニューウェイ。
彼がチーフデザイナーとして初めて生み出した車
マーチ881 は、1988年シーズン中 非力なNAエンジン搭載車でありながら 唯一 トップを走った車でした。
ニューウェイがデザインした車は、空力のトレンドセッターとなり、弱小チームだったマーチを一躍、注目のチームへと仕立て上げました。
そして、翌 1989年はターボが禁止され、全車NAエンジンに移行する事が決まっていた為、ニューウェイ率いるマーチは 更なる飛躍を期待されていたのです。
開幕戦ブラジルGPでは、 89年用のマシンが間に合わず 昨年のマシン881 で臨んだにも拘らず M・グージェルミンが母国で3位表彰台に上がるという好成績をあげます。
そして、第3戦モナコGPからは 待望のニューマシン
CG891がデビュー。
CG891は 881 よりも さらに攻めたマシンで、後部カウルを絞り込むためにジャッドに専用の挟角(76度)V8エンジンを作らせたほどでした。
そんな ニューウェイ渾身の空力マシン CG891でしたが、成績は低迷しました。
新型エンジンの信頼性不足もありましたが、低迷の一番大きな理由は「攻め過ぎた空力コンセプト」にもありました。
「セッティングが決まれば V8勢トップのタイムが出るが、1mmズレただけで操縦不能になる」
とまで言われる始末。
その流れは 翌1990年 チーム名がマーチからレイトンハウスに替わっても変わりませんでした。
レイトンハウス CG901は、前年の マーチ CG891以上にセンシティブなマシンで、僅かな姿勢変化でもエアロダイナミクスに悪影響が出ました。
姿勢変化を嫌って、足回りのセットアップは常に硬められていましたが、ブラジルGPの行われるインテルラゴスの様なバンピーなサーキットとの相性は最悪で、2台揃って予選落ちとなりました。
なお、メキシコGPも2台揃って予選落ち、グージェルミンに至っては、モナコGP、カナダGPも予選落ちで、開幕6戦中4戦で予選落ちという体たらくでした。
しかし、この不振の原因は、「攻め過ぎた空力」だけではありませんでした。
実は、「攻めた空力」の大前提となるべき風洞実験データが、風洞そのもののトラブルで間違ったデータを弾き出していたのです。
風洞問題を補正すべく、第7戦フランスGPでBスペックが投入。
フランスGPの舞台、ポール・リカールのフラットな路面と相性が良かった事もあり、CG901Bは見違えるような走りを見せます。
タイヤ無交換作戦をとった事もありますが、一時期 カペリとグージェルミンでワンツー体制を構築。
グージェルミンはリタイアに終わりましたが、カペリはレース終盤までトップを快走。
最終的にはフェラーリのプロストにパスされたものの、2位でチェッカーを受けました。
次戦のイギリスGPでも(結果的にリタイアに終わりますが)カペリが3位を走行していました。
ニューウェイの設計した空力マシンは、正しく機能さえすれば速かったのです。
しかし、ニューウェイが CG901Bの快走を見る事はありませんでした。
皮肉な事に、結果が出たフランスGPの前に、ニューウェイは成績不振を理由にチームから解雇されていたのです。
もしも風洞が最初から正しく機能していたら、もしかしたらマーチ/レイトンハウスでも勝てていたかもしれない。
マーチは、初年度をF3000マシンベースの車で参戦したチームですので、これはとんでもない事です。
それくらい強烈な印象を残したマーチ/レイトンハウス時代でした。
そんな空力のスペシャリストを狙っていたチームがあったのでした。
-つづく-
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Posted at
2024/09/14 02:04:39