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タケラッタのブログ一覧

2020年09月12日 イイね!

スカイライン と フェアレディZ

スカイライン と フェアレディZ今週末こそは車に乗ろうと思っていたのですが、雨模様で断念。


ドライブしていないので、ブログネタがありません。


というわけで、3回連続の日産ネタです。(汗)





前回のブログでも取り上げた日産の名車と言えば「スカイライン」と「フェアレディZ」です。


実は、車に興味を持ち始めた頃、この2車種にはあまり良い印象を持っていませんでした。


スーパーカーブームで車を覚え始めた時、スカイラインはC210(ジャパン)、フェアレディZはS130が登場したのですが……


ジャパンは『カッコ悪い』



S130は『大きく、重くなった』



そんなマイナスイメージしかありませんでした。


ですが、車に関する知識が深まっていくと、2車のもつ歴史を知り、それと同時に、日産という会社のイメージも変わっていったのです。


そんな訳で、2車の歴史を振り返ってみましょう。





まずはスカイライン。


そもそもスカイラインは日産の車ではありませんでした。


まあ、ある程度の年齢の方ならご存じでしょうが、日産自動車に吸収された『プリンス自動車工業』の車として登場しました。




ただ、スカイラインの名を有名にしたのは2代目のスカイライン、それも 本来1.5ℓ4気筒エンジンを積む車に、グロリア用の6気筒エンジンを搭載した“スカイラインGT”でした。




1964年の第2回日本グランプリにおいて、生粋のレーシングカーであるポルシェ904を相手に、スカイラインGTは 一瞬ではありましたがポルシェの前を走ったのです。



まあ、実力差があり過ぎるので、ポルシェがすぐに抜き返し、最終的には大差をつけてポルシェが優勝したんですがね。(実は、ドライバー同士が仲良しであったため、スカイラインに乗る生沢に頼まれて ポルシェの式場がわざと先に行かせたという話もあるのですが)


何にしても、直6エンジンを積んだ車にGTを名乗らせるというスカイラインの不文律は、この時に誕生したのです。





続く3代目は、プリンス自動車時代に開発がスタートしたものの、日産スカイラインとして登場しました。


そして、ハコスカと呼ばれたこの3代目の時に、伝説の名車 GT-R が誕生したのです。



スカイラインGTには、合併に伴い 日産系のL型エンジンが搭載されましたが、GT-Rには、プリンスが開発したレースカー R380に積まれたエンジンをベースにした S20型エンジンが搭載されています。


このGT-Rはレースで「49連勝」したことで伝説となりました。





4代目は、CMで「ケンとメリーのスカイライン」というキャンペーンを行ったことから、ケンメリと呼ばれました。


大きく、立派に見えるボディになった事もあって、ケンメリはスカイライン史上最多量販車となったのです。


このケンメリでも GT-R は用意されましたが、排ガス規制に対応できず僅か3ヶ月で販売打ち切りとなり、販売台数は197台に留まりました。



ハコスカと打って変わって、スタイリッシュなファストバックスタイルとなりましたが、個人的には大きく重い印象があって好きではありませんでした。


うーん、ガキの頃からライトウェイト好きだったんですねー。





5代目は、これもCMの「スカイライン ジャパン」というキャンペーンから、通称ジャパンと呼ばれました。



ケンメリも同様ですが、排ガス規制で牙を抜かれ、スポーツセダンと呼べるような性能ではありませんでした。


ツインカムエンジンを復活させていたトヨタに、「名ばかりのGT達は、道を開ける」とCMで挑発されたりしていました。


そんなスカイラインも、ターボエンジンの搭載で一矢を報いますが、スポーツセダンとしては物足りないものでした。


冒頭でも書きましたが、この“ジャパン”はカッコ悪いと感じました。


ハコスカのようなノーブルな3BOXスタイルでもなく、ケンメリのスタイリッシュなファストバックスタイルでもない、ジャパンのスタイリングは意味不明な尻下がりで、まるで定規で線を引いただけのようで細部の処理にも丁寧さを感じませんでした。


カースタイリングについて勉強した事のない小学生の頃なので、直感で「カッコ悪い」と感じたのですが、今見てもカッコ悪いかなー。





6代目は、CMキャラクターだったポール・ニューマンから、ニューマン・スカイラインと呼ばれました。



直線基調のクリーンなスタイリングには好感が持てます。


なお、このスタイリングテイストは、それまでデザインで混迷を極めていた日産にとって、久々のクリーンヒットとなった 910ブルーバードのものに準じています。



510 や 910 など、奇をてらわずにオーソドックスなデザインをすれば、日産もいいデザインが出来るのに、と思ったものです。


なお、ニューマン・スカイラインでは、直4のDOHC 4バルブエンジンであるFJ20を積んだ RS が追加されました。


個人的には、「何故、4気筒?」と思ったのと、「4気筒なら、ブルーバードに積めばいいじゃん」と思ったのですがねぇ。





7代目は、そのものズバリ 7th(セブンス)スカイラインと呼ばれました。



日産は、7thスカイラインを、ハイソカー・ブームで大ヒットしていたトヨタのマークⅡ3兄弟のライバルとして仕立てました。


長らく設定していた2ドアをラインナップから外し、4ドアセダンと4ドアHTの2本立てにしたのです。


ですが、市場からはNOを突き付けられます。


結局、1年後に2ドアクーペが追加されました。


この頃の日産の混迷は、6気筒エンジン群にも表れていて、セドリックにはV6(VG型)、スカイラインには直6(RB型)、ローレルにはV6/直6の両方を搭載するというちぐはぐさでした。





8代目からは、型式である R32 で呼ばれることが多くなりました。



R32では、遂に伝説の車 “GT-R” が復活しました。



レースでは、ハコスカの49連勝には届きませんが、29連勝を飾りました。


もっとも、日本ツーリングカー選手権(JTC)というカテゴリーが終わってしまった為、29連勝で止まっただけで、R32 GT-Rはカテゴリー終了まで無敗のままでした。





9代目の R33 は、3ナンバーサイズとなりました。


GT-Rも引き続き設定されていたものの、大きく重くなってしまいました。

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これは、スポーツカーとしては高評価だったものの、セダンとしては決定的に狭かったR32の反省のもと、ホイールベースを100mm以上延長したためです。


一説には、2ドアクーペはショートホイールベースの予定だったものの、コストカットの為にセダンと共通化することになったんだとか。


大きく重くなったR33は不評で、R33型が発表されたとたんに在庫のR32に注文が殺到したそうです。





10代目の R34は、不評だったR33のネガを消すべく、ホイールベースを短縮します。


R34でも GT-R は設定されましたが、これが最後のスカイライン GT-R となりました。




一方の4ドアセダンはというと、ホイールベースの短縮は居住性に響きます。


ところが、全長は R33 と大して変わらないんですよね。


ホイールベース短縮分は後輪が前に移動した感じで、リアオーバーハングが異様に長く感じました。








モデルチェンジのたびにチグハグさを感じたスカイラインは、R34の後継車種の開発が行われておらず、このままラインナップから消える筈でした。


その一方で、日産は新しいスポーツセダンとして XVL というコンセプトカーを、1999年の東京モーターショーに出展していました。


ブランニューのスポーツセダンになる筈だったXVLに、カルロス・ゴーンがスカイラインのネームバリューを利用することにしました。


こうして、11代目スカイライン V35 が誕生しました。



もっとも、予定外の次期型が登場したことにより、R34スカイラインは GT-R を除いて、わずか3年で生産を終えることになってしまいましたが。





その後のスカイライン、V35、V36、V37 は もはやスカイラインと言えないような気もします。


まぁ、V37のマイナーチェンジで登場した 400R は、往年のスカイラインっぽい感じもしますけどね。











続いて、フェアレディZです。


もっとも、フェアレディの名を冠しているのは日本だけで、世界的には Z であり、北米では Z-Car(ズィーカー)と呼ばれています。


その Z の誕生は、1960年代当時、米国日産の社長だった片山豊氏が、北米市場拡販のための強力なイメージリーダーとなるモデルとしてスポーツカーの開発を要望したことから始まります。


この辺の開発経緯は NHK のプロジェクトX で紹介されましたから、詳しく知りたい方はそちらをどうぞ。


初代のS30 は北米で大ヒットしました。




足掛け10年の間生産されたS30は、世界総販売台数55万台を記録、世界で最も売れたスポーツカーと呼ばれました。





2代目のS130は、特徴的なヘッドライト形状なども踏襲した、キープコンセプトで登場しました。




スカイラインのところでも書きましたが、S130もボディが大型化し、一方で排ガス規制のためパワーダウンしており、スポーツカーらしいパフォーマンスは期待できませんでした。





3代目のZ31は、ロングノーズ・ショートデッキという Zらしいスタイリングではありましたが、Zの特徴だったヘッドライト形状をセミリトラクタブルヘッドライトで表現するなど、イメージは大きく変わりました。




また、エンジンも 長い直6エンジンから、V6エンジンに変更したことで、重量配分を考慮した車になった(筈)でした。


Z31では、3.0ℓターボのVG30ETで 230psを誇り、S130の2.8ℓ(L28E)155psから一気にパワーアップを果たしました。


ただ、あれだけV6エンジンの優位性を訴えていたのに、マイナーチェンジで直6のRB20DETを搭載してしまいます。


この辺が、日産車に拘りを感じられなかったところですね。(まぁ、日産社内で V6に拘る人と 直6に拘る人がいて、お互いに拘り続けたからこうなったんでしょうけど)





4代目のZ32は、文句なくカッコいい車になりました。



正直に言うと、私はZ32のデザインはジウジアーロだと思っていました。(実際は、前澤義雄氏など日産自動車デザイン部の作品でした)


Z31が登場した時、「何故、ミッドシップにしなかったんだ」という声が聞かれたそうです。


スポーツカーとしての Z31 に満足できない層が少なからずいたのです。


しかし、Z32が出た時には、ミッドシップ化を求める声は無かったと言います。


それだけ、スポーツカーとして完璧だったのでしょう。


ホント、901運動の頃は、デザインでも世界一だったんじゃないかと思います。





Z32が登場した1989年は、日本車のヴィンテージイヤーでした。


R32スカイライン、初代セルシオ、初代マツダ(ユーノス)・ロードスターといった名車たちが誕生したのです。


しかし、セルシオ、ロードスターが順調に後継車にチェンジしたのに対し、日産はR32のモデルチェンジに失敗、Z32に至っては後継車の開発も行われず、2000年に生産を終了しました。


しかし、カルロス・ゴーンが Z の復活を指示、2年後の2002年に5代目のZ33が登場します。



Z32が、途中から改良もされずに放置されて11年を過ごした反省から、Z33は年次改良が加えられていきました。


そして、6年半で次期型のZ34にチェンジされるのです。





2008年に登場した 6代目のZ34は、多少灯火類のデザインに癖はあったものの、基本的にキープコンセプトでした。



Z32の時の放置を反省した筈でしたが、日産はまたしてもZ34を放置します。


Z34は今年で12年目を迎えており、Z史上、最も長期間モデルチェンジせずに作り続けられている車になってしまいました。





9月16日、ようやく新しい Z が発表されます。


もう、日産には Z を作るような余裕は無いのかもしれないと思っていただけに、新型Zの登場はうれしく思います。


噂されるエンジンは 3.0ℓV6ターボだと言いますから、スカイライン 400Rのエンジンでしょうか?


Z には MTも用意されると言いますから、スポーツカー好きにも受けそうです。


あとはデザインが魅力的ならば、Z は売れるんじゃないでしょうか。


Z は販売台数が稼げる車ではありませんから、日産の利益には繋がらないかもしれません。


ですが、イメージリーダーカーが売れればマインドは上がります。


新しい Z には頑張って欲しいですね。
Posted at 2020/09/13 02:08:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2020年09月11日 イイね!

頼むぜ 日産

頼むぜ 日産みんカラPR企画の「NISSAN NEXT」の中の『NISSAN愛』について語るブログを書いたので、続けて日産ネタを書きます。


今回は、キムタクが出ているCMについてです。


日産は、8月20日から新しいブランドアンバサダーにキムタクこと木村拓哉を起用、同22日よりTVCM「やっちゃえ NISSAN 幕開け篇」の放映を始めました。



このCMの中で、かつての日産の名車たちが登場しています。


ハコスカGT-R、フェアレディ240ZG、R32 GT-R

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単なる名車ではなく、もはや金字塔と言っても過言ではない車たちです。


この錚々たる車たちの中に サファリが入っているのは何故? って思わなくはないですが……

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もしかして、キムタクの車の好み? なんて思ったりもしましたが(大型SUV 好きですからね)、今の日産が進まねばならない苦難の道を乗り越えていくっていう意味合いがあるのかな?





当ブログの始めにも書いた、『NISSAN愛』にも通じるものがこのCMにはあると思います。


上記の車たちは、日産が日産らしかった頃の、そして、当時の日産ファンが最も憧れた車たちです。


そして、上記の車たちがいずれも国内専用モデルという事も、国内の日産ファンへ訴えかけているのだと分かります。(GT-Rを含むスカイライン自体が基本的には国内専用モデルですし、S30 フェアレディZは北米で大ヒットした車ですが、CMの240ZGは国内専用モデル)


ただ、これは同時に、日産の罪深さも表しています。


それは、日産ファンへ訴えかける為に取り上げた車が、ここまで旧い車でなければならなかった事。


R32 GT-Rに憧れた当時の若者が乗るべき車を、いつからか日産は作らなくなってしまいました。(R35は性能高過ぎ、価格高過ぎで、スカイラインGT-Rの後継とは言えない)


「儲からないから」


その一言で、日産は国内の商品ラインナップを絞っていきました。


日産は株式会社ですから「利益の追求」をする事は理解できます。


ですが、「日産らしいモデルを作りつつも、どうやったら儲ける事ができるのか」を考えるべきではなかったのか。


「儲からないから」


商品の魅力よりも製造コストを優先した結果、日産車から日産らしさが失われ、日産ファンも離れていったのです。





日産ファンの情へ訴える今回のCM。


日産が一番輝いていた頃の車を取り上げていますが、ここまで旧い車でなければならなかったのが悲しいです。


S30フェアレディZ や ハコスカGT-Rに憧れた当時の若者は、恐らく 免許返納を考えなければいけない歳になってますよ。


もしかして、おじいちゃんに、孫の初めての車として日産車を買って欲しいと思ってるんですかねー。





1989年、R32でGT-Rを復活させ、ハコスカ&ケンメリ GT-Rに憧れた世代を取り込めたという成功例はあります。


ケンメリGT-Rが生産を終えたのが 1973年ですから、16年の時を経て復活したのですが……


今回はさすがに間が開き過ぎの気がしますけどねぇ。


かつての名車たちにノスタルジーを感じ、再び日産の車に乗りたいと思わせてくれるような車たちが、今後の日産から出てくるんでしょうか?





あ、そういえば、本日からキムタクCMの第二弾も放映されるようですね。




んー、ハコスカやS30 Zを引っ張り出してきたけど、結局はアリア、「自動運転」、「電気自動車」なんですねー。




日産がよく言ってる
自動運転?電気自動車?
正直どうなの …って。

でもさ、一度使うと…
ハマっちゃうんだよなぁ。

さあ、今日も頼むぜ

やっちゃえ NISSAN





一度使うと「ハマっちゃう」そうですが……


だったら、早く一般ユーザーが使えるよう、2021年と言わず今すぐに販売してよ。


頼むぜ、日産!
Posted at 2020/09/11 21:44:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2020年09月10日 イイね!

NISSAN愛

NISSAN愛1.あなたの「NISSAN愛」を熱く語ってください。

日産は子供の頃から身近だった。

追浜工場がひと山越えたところにあるし、日産の社宅が近所にあった為、小学校のクラスメイトには日産社員の子供も多かった。

でも、その頃の日産車に持っていたイメージは良くなかった。

L型エンジンは暴走族の御用達で、日産車のイメージは “竹やり”、“出っ歯” のチバラギ仕様だったし、テレビでは『大都会』、『西部警察』で日産車(セドリック)が毎週スクラップにされていた。

販売成績でもトヨタに負け続け、白ブーム、ハイソカーブームの時にトヨタを追った日産は、デザイン性の無い四角いボディ形状もあって、“走る豆腐”呼ばわりされて惨敗を喫した。

そんなイメージが大きく変わったのが、901運動で世に出てきた車たちだった。

R32スカイラインに P10プリメーラの脚は絶賛されたし、Z32フェアレディや S13シルビアの美しさも、それまでの日産車には無かったものだった。




いや、無かったわけではない。知らなかっただけなのだ。

小学校高学年で車に興味を持つ前、日産には伝説的な名車が生まれていた。

510ブルーバード(1967年)


ハコスカことC10型スカイライン(1968年)


S30フェアレディZ(1969年)


これらの車たちは、大人になってから大好きになった。

実際に購入したのはP10プリメーラ1台だけに留まるが、今でも、60年代後半の日産車や、901運動の頃の日産車は大好きだ。

だが、今の日産車には、好きな車が一台もない。

何とか、かつての日産を取り戻して欲しい。

身近ゆえ、だらしない時はきつく当たってしまうが、それは愛の裏返しだ。



2.新世代のNISSANに向けたエールや“キャッチコピー”を付けてみてください。

「あなたと共に 日産」

現在、日産車に乗っていなくても、かつて日産車に乗っていた事のあるユーザーは多い。

それは、潜在的な日産ユーザー層と言える。

おそらく日産は、国産メーカーの中で、この潜在的なユーザー層を一番多く持つメーカーだ。

逆に言うと、それらの層が欲する商品(車)を提供できていないのだと思う。

かつて日産車を愛車としてくれたユーザーに、再び日産車ユーザーになってもらう。

そして、日産車ユーザーになってくれた顧客に、再び日産車に買い替えてもらう。

日産ファンを裏切らない車作り。

ファンと共にある日産であってほしい。

※写真を添えて投稿してください。
※質問項目を変更、削除した場合、応募が無効となる可能性があります。

この記事は みんカラ:あなたの「NISSAN愛」が広告バナーになる! について書いています。
Posted at 2020/09/10 23:38:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産 | タイアップ企画用
2020年09月10日 イイね!

ベッテルの移籍発表と、フェラーリ1000戦記念レース

ベッテルの移籍発表と、フェラーリ1000戦記念レース遂に発表されましたね。


セバスチャン・ベッテルは、2021年にアストンマーティンF1として参戦するレーシング・ポイントと複数年契約を結んだことを発表しました。


シーズン開幕前に、フェラーリとの来シーズンの契約更新が無い事が発表されていたベッテル。


ベッテルとしては、勝てるマシンで走りたいところ。


一番良いのはもちろんメルセデスであり、ドイツ人のベッテルはメルセデスにとってもマーケティング上、魅力的な存在ではありました。


しかし、メルセデスには絶対王者のハミルトンがおり、コンストラクターズタイトル獲得もボッタスがいれば大丈夫そうとなれば、無理して高給取りのベッテルを獲得する必要はない。


レッドブルもフェルスタッペンをエースに据えており、やはり高給取りのベッテルを獲得する気はない。


3強チームにシートは空いてない。


ところが、今シーズン、突如として3強を脅かす速さを発揮し始めたマシンが現れます。


それが、ピンク・メルセデスことレーシング・ポイントでした。

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シーズン序盤、数戦を消化した時点で、既にベッテルのレーシング・ポイント(来季のアストンマーティンF1)との契約は誰の目にも明らかで、チームの本拠地のあるシルバーストンで正式発表されるものと思われていましたが……


私は、この時期まで発表が延期されたと思っていて、その理由は、ベッテルに弾き出される形でレーシング・ポイントを去るペレスが、まさにイギリスGP開催時に新型コロナに感染した事が原因だと思っています。

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新型コロナに感染しただけでも不幸なのに、同時にシートを失うなんて発表は、チーム側としても出来なかったんじゃないかと。





それにしても、ペレスはついていないですね。


ペレスは、2014年にレーシング・ポイントの前身フォース・インディアに加入していますから、今年で7年目のシーズンをこのチームで過ごしています。


その間に5回の表彰台を獲得し、2016年と2017年にはチームのコンストラクターズ選手権4位という好成績にも貢献しています。


さらには、2018年にフォース・インディアが資金難に陥り、チーム存続の危機を迎えた際にも、チームの生き残りの為にペレスが大きな役割を果たしたと言われています。


そんな、長年チームのエースにして、現在のレーシングポイント誕生の立役者も、2022年末までの長期契約を結んでいたにも拘らず、4度のワールド・チャンピオンであるセバスチャン・ベッテルを獲得するために切られてしまう……


まぁ、もう一人のドライバーが、現オーナーのローレンス・ストロールの息子(ランス・ストロール)ですからどうしようもないのですが。





発表時期が微妙な気がするのはもう一点。


今週末のトスカーナGPが、フェラーリにとってF1世界選手権参戦1000戦目の記念レースという事。


しかも、トスカーナGPの舞台イタリア・ムジェロサーキットはフェラーリが所有するコースでもあります。


この記念グランプリにおいて、フェラーリは特別カラーリングで走るというし、様々な企画を用意しているそうです。

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何から何までフェラーリの為の一戦となるトスカーナGPで、フェラーリから離脱するドライバーが来季の発表をしなくても、と思うんですよね。


本来なら『都落ち』とも言うべき移籍ですから、普通ならフェラーリとは関わりの無い場所で発表したいと思う筈です。


これ、“遅いフェラーリ” から “速いレーシング・ポイント” に移籍できるよ、っていう、ベッテルの当て付けなんじゃないかなーなんて思っちゃうのですけど。





ムジェロは、辛酸を嘗めたスパ(ベルギーGP)、モンツァ(イタリアGP)以上に高速サーキットです。


パワー不足のフェラーリには、今週末も厳しいレースになりそう。


アストンマーティンF1との契約を発表したベッテルがどう思うか分かりませんが、今季初めての観客(2880人)を入れるムジェロで、ティフォシが落胆しないレースをフェラーリには望みたいです。
Posted at 2020/09/10 20:55:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | F1 | 日記
2020年09月09日 イイね!

最近、ドライブしていません

最近、ドライブしていませんもう9月だというのに、暑い日が続いています。


「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言葉もありますが、まさかお彼岸まで猛暑日が続いたりしないだろうな。


さて、ここ暫くブログ更新が滞っていましたが、それもこの暑さが原因なのです。


毎日続く猛暑によって、屋外に出るような体力も気力も失いました。


「体力の限界っ、気力もなくなり……」


いや、昭和の大横綱じゃないんだから。(汗)





しかし、本当に体力も気力も失っていて、大好きなドライブに出掛けたいとも思わなくなりました。


おそらく、8月16日の日曜日に大黒PAに出掛けて以降は、近所のスーパーに買い出しに行く以外に車に乗っていない筈。


買い出しにはジュリアを使いますので、その他の車(GT2、964、エキシージ)には乗っていないことになります。


エキシージなんて、梅雨入りから暫く乗らない日が続き、梅雨明け時に1回乗ったけど、今度はあまりの暑さに再び乗らない日が続いて……うーむ、下手すりゃ3ヶ月間で1回しか乗ってないぞ。


まあ、GT2も964も、雨降りや猛暑の時に乗りたい車ではないので、状況はエキシージと大差ないだろうな。


去年までは、ここまで車に乗らない事は無かった。


やっぱり、体力が落ちているのかなぁ。


「体力の限界っ、気力もなくなり……」


い、いや、まだ引退したくねぇ……(汗)
Posted at 2020/09/09 22:49:05 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「新型ルークスのCMを、今日、初めて見たが…

ダジャレ?

これでイメージアップになってるのかなぁ…

https://youtu.be/xJQuC5InenU?si=UNbtHzt7XRuJuZyz
何シテル?   11/02 02:40
タケラッタです。 子供の頃からの夢、ポルシェを手にしただけでは飽き足らず、遂にロータスまで買ってしまいました。 実用性はないかもしれないけれど、運転する事自...
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