
昨日のブログで、ホンダ F1最終年の日本GPの事について触れました。
遂にチャンピオンを獲得できそうなエンジン(PU)が出来たというのに、ここで止めちゃうのかよ! と思わなくは無いのですが、第三期と違って「いきなり止めます」ではないのがせめてもの救い。
ホンダは今まで、何度かF1からの撤退と復帰を繰り返してきました。
第一期(1964年~1968年)
第二期(1983年~1992年)
第三期(2000年~2008年)
そして、第四期(2015年~)
最強の名を欲しいままにした第二期や、僅か1勝に終わった第三期など、山あり谷ありだった、ホンダのF1挑戦。
シリーズものが大好きなタケラッタには絶好なブログネタの筈ですが、まだホンダ F1は書いていませんでした。(何故か、番外編的なものだけ
こちら と
こちら を書いてましたけど…)
そこで、今シーズンでF1活動を終えるホンダ F1の歴史を振り返ります。
なお、今回使用した写真は、
去年の11月28日に Honda Collection Hall の見学に行った時に撮った写真です。(タケラッタのブログで、ネットの拾いものじゃない写真を使うなんて、珍しい!)
さて、前述の通り、ホンダの F1 第一期は1964年に参戦を開始します。
ホンダ初のF1参戦は、同時に日本メーカー初のF1挑戦でもありました。
その当時のホンダは、どんな自動車メーカーだったかというと……自動車メーカーと言うより、バイクのメーカーでした。
前年に軽トラック T360を発売し、ようやく4輪生産を始めたばかりの、国産車の中でも最後発の自動車メーカー、それがホンダでした。
ただ、バイクのマン島TTレース参戦でも分かるように、本田宗一郎の考える『最高峰への挑戦』によって、無謀とも思えるF1挑戦を開始する事になりました。
RA271(1964年)
F1どころか、4輪車は市販車も作った事が無かったホンダが、シャーシを含めた車体全体を開発し、コンストラクターとして参加する事になったのですが、これは当初は計画に無かった事でした。
元々は、1964年からロータスにエンジンを供給する形でのF1参戦を計画していたホンダ。
しかし、1964年2月、チャップマンから電報で「ホンダは使えなくなった」と連絡が入ります。
シーズン開幕直前にハシゴを外されたホンダは、新たなパートナーを探している時間は残されておらず、止む無く自前でシャーシを開発し、コンストラクターとして参戦せざるを得なくなったのでした。
デビューレースは1964年8月2日のドイツGP。(F1って 6ヶ月で開発できちゃうの?)
僅か 1.5ℓの排気量でV12を採用しており、パワフルではありましたが重かったので、マシンの戦闘力は…
RA271に横置き搭載されたRA271Eエンジン。(横置きだったのは、ホンダがバイクメーカーだったからですかねー)
RA272(1965年)
来季からレギュレーション変更が行われるため、1.5ℓエンジンで戦う最終年となった1965年。
当然、新規開発は出来ず、RA272は昨年のRA271の改良型として登場、1.5ℓ V12 を横置きに搭載する構造も引き継がれました。
重量級だった昨年のRA271の525kgから 498kgまで軽量化されましたが、それでもレギュレーション上の最低重量 450kgを 48kgもオーバーしていました。
そんな RA272でしたが、最終戦メキシコGPで、リッチー・ギンサーが遂にホンダに初優勝をもたらします。
なお、この優勝は、後にF1を支える事になるグッドイヤータイヤの初勝利でもありました。
RA273(1966-1967年)
この年から3.0ℓに変更されたF1。
1.5ℓですら V12を採用していたホンダですので、RA273でも V12を採用します。
ただ、エンジンが大きくなるため、もはや横置きとすることは出来ず、一般的な縦置きに改められます。
ただ、やはりホンダの企業規模では新しいエンジンの開発は厳しかったのか、RA273が登場したのは、第7戦 イタリアGPになってからでした。
RA300(1967年)
なんか、RA273は またもや重量級のマシンだったようで、レギュレーション上の最低重量が500kgのところ、720kgもあったらしい。
これじゃどうにもならん、と思ったのかどうかは知らないけど、ローラと提携して、ローラのインディカーをベースにして RA300 を開発したとの事です。
車重は約610kgまで減りましたが、まだまだ重いですね。
しかし、RA300のデビュー戦となったイタリアGPで、なんとデビューウィンを果たします。
もっとも、最終ラップでジム・クラークのロータスが燃料切れ、ジャック・ブラバムのブラバムがコースオフした結果であり、優勝したジョン・サーティースがトップを走ったのはこの最終ラップのみでした。
RA301(1968年)
RA300 の改良版で、エンジンも RA300と同じ V12でしたが、RA300の V12は Vバンクの外側が吸気、内側が排気(エキゾーストパイプが上方に出ている)だったものが、一般的な内側が吸気、外側が排気に改められました。
ただ、ホンダはRA301とは別に、空冷エンジン(V8)のRA302の開発も並行して行っていたので、RA301の開発リソースは限られていたでしょうね。
さて、RA301の開発リソースを奪ったであろう RA302は、その年の第6戦フランスGPでデビューします。
(この写真だけは、ネットから拾いました)
しかし、そのデビューレースでRA302がクラッシュ、ドライバーのジョー・シュレッサーが死亡してします。
結局、この年を以て、ホンダはF1から撤退します。
RA302での死亡事故というアクシデントが決定打になったかもしれませんが、主な理由は、自動車メーカーとなったホンダが市販車の開発をしていくために、F1開発の為に開発人員を振り分けられなくなったからでしょう。
結局、第一期は1.5ℓ時代、3.0ℓ時代、それぞれで1勝ずつ、計2勝に終わりました。
しかし、オートバイレースの経験はあったものの、4輪はレースカーどころか 市販車も作っていなかったホンダが2勝できた事は、凄い事だと私は思います。
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Posted at
2021/06/17 01:15:21