
昨夜、NHK BSプレミアムで再放送された プロジェクトX「ロータリー47士の闘い 夢のエンジン開発」を見ました。
まー、個人的にはDVDを購入しているので、いつでも見れるのですがね。
ただ、番組を視聴できなかった方が「ダイジェスト書いてください〜」と言ってきたので、ロータリーエンジン開発ストーリーを私なりに書いてみようと思います。
さて、”ダイジェスト…”とは書きましたが、タケラッタが書くのですから、プロジェクトXの内容そのままでは面白くありません。
また、プロジェクトXでは原爆投下で焼け野原となった広島の復活の象徴として描かれていましたが、この辺の感動秘話は やはり田口トモロヲのナレーションで見て頂きたいです。
中島みゆきの“地上の星”で始まり、“ヘッドライト・テールライト”で〆る、このセットでこそ得られる感動があると思いますので。
という訳で、このブログでは、あくまでロータリーエンジン開発に関してのみ書きたいと思います。
ロータリーエンジン開発物語。
実は、私が現在のような車好きになった重要な1ピースとなっているのか、マツダのロータリーエンジン開発物語なのです。
小学生の頃、近所の自動車修理工場(多分、マツダ車を扱っていたんだと思う)が無料で配っていた、ロータリーエンジン開発について書いてあるリーフレットを読んで感動したのを覚えています。
そのリーフレットに書かれていた事とは……
1960年代初頭、マツダ(当時は東洋工業)といえば3輪トラックの会社でした。
3輪トラックは、マツダ以外にもダイハツ・ミゼットなどがありましたが、これらは最近まで英国にあった免許制度や税制における三輪車への優遇措置もあったからではなく、オートバイ+荷台という簡単な構造によるものでした。
ただ、走行安定性を考えると難がある3輪自動車は一般的な4輪自動車に敵う訳もなく、マツダも4輪自動車へと移行していきます。
そんな東洋工業(車名はマツダでしたが、社名は前述の通り“東洋工業”)に会社存続の危機がやってきます。
昭和36年5月、通産省(現在の経済産業省)が国内自動車メーカーの再編案を打ち出したのです。
自動車の輸入自由化に向けて、競争力のある3メーカーくらいに纏めようというもの……、まあ通産省の本音は「トヨタと日産があればいい」くらいだったのでしょう。
当ブログでも取り上げていますが、この件ではホンダの本田宗一郎が猛然と反対、そして「この法律が出来る前に4輪自動車を作ってしまえ」と、軽トラックのT360や ホンダ初の乗用車S500を作ったのですがね。
一方の東洋工業はというと、こちらも昭和40年にようやくマツダ初の四輪乗用車として、前述のR360クーペを出したばかり……、法律が本当に施行されれば弱小メーカーの東洋工業は大メーカーに吸収されるしかありません。
危機感を抱いた当時の社長であった松田恒次の耳に、西ドイツのNSU(後にアウトユニオン:現在のアウディに吸収される)がロータリーエンジン(NSUはヴァンケルエンジンって言っていたと思います)の開発に成功したという話が舞い込んで来ました。
一般的なレシプロエンジンの往復運動ではなく、回転運動によって出力を得るロータリーエンジンは、その構造からも小型で高出力、そして振動も少ない、夢のエンジンと言われていました。
自動車業界再編を乗り切るには独自技術が必要と考えた松田社長は、NSUと技術提携を結びます。(なお、NSUには世界各国の約100社から技術提携の申し込みが殺到していました)
さて、無事にNSUと技術提携を結んだマツダのもとに、NSUから試作エンジンが送られてきました。
しかし、このエンジン、実は実用には程遠い代物でした。
エンジンを一定時間稼働させると、エンジン内壁面に異常な摩耗痕が発生しエンジンが止まってしまうのです。(いわゆる「チャターマーク」です)
実は、本家のNSUも、このチャターマークに関しては克服できていなかったのです。
その他にも、燃焼室にエンジンオイルが漏れ、そのオイルが燃焼する事でもうもうと白煙を吐く「カチカチ山のたぬき」、振動が少ない筈のロータリーエンジンも低回転時には激しい振動を伴う「電気あんま」など、量産するにあたっては解決せねばならない難題が山積していたのです。
-つづく-
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MAZDA | 日記
Posted at
2021/07/01 03:08:53