
3連休最終日は、横浜某所に行ってました。
まぁ、某所と言ってもクレフさんですがね。(笑)
年末にGT2のタイヤ交換をお願いした時の代金振り込みを忘却していた為、それの支払いをしに行ったのです。
実は、昨日 振り込みの忘却に気付いた為、大慌てで 大黒PAからクレフに直行したのですが……『Fuji-1GP 4時間耐久レース』にスタッフ総出で富士スピードウェイに行っていた為、お休みでした。(汗)
本日 クレフに到着すると、常連さんに交じって ドイツ人のお兄さんが歓談していました。
気さくなお兄さんで、クレフのご近所さんという事もあり「また来るよ、よろしくね!」って感じで、LINEで繋がる事になりました。(英語、勉強しなきゃ!)
うーむ、車変態もワールドワイドになって来たぞ。(爆)
昨日のブログで、“セナの勝利が最後”とか、“1994年を最後に F1フィールドから消えた” とか書いている事に違和感を感じた人、いませんか?
「21世紀になっても、ロータス 走ってたじゃん」、「キミ・ライコネンが優勝してるよ!」
そうですね、例の
“Leave me alone, I know what I'm doing” の無線で有名な、2012年の第18戦アブダビGPで勝ったライコネンが乗っていたマシンは “ロータス E20”でした。
しかし、あのロータスは、チャップマンが興した
“チーム・ロータス”とは 全く関係のない、別のチームなのですよ。
1994年に破産したチーム・ロータスですが、ジェームス・ハントの弟 デヴィッド・ハントらが 1995年シーズンを戦うべく 懸命に努力はしたものの、
“チーム・ロータス”としての参戦は叶わず、パシフィック・チームに名義貸しして「パシフィック・チーム・ロータス」としてエントリーシートにロータスの名前を残すだけに終わりました。
そんなロータスの名が、2010年に突然復活します。
トニー・フェルナンデスのチームが
“ロータス・レーシング”を名乗り、ロータスT127で F1参戦を開始します。
そして、デヴィッド・ハントから
“チーム・ロータス” の商標の使用許可を得て、2011年からは
“チーム・ロータス” 名義で参戦する事が発表されました。
ただ、ややこしいのは、乗用車メーカーである
“ロータス・カーズ” と、デヴィッド・ハントが所有していた
“チーム・ロータス” は別物であるという事。
ロータス・カーズとしては弱小チームがロータスを名乗る事はイメージダウンとなることから、一度は認めたロータス名義での参戦に対し 商標権の侵害として訴訟問題へと発展してしまいます。
さらには、ロータス・カーズが ルノーチーム(*)の株式の一部を買収、
“ロータス・ルノーGP”としてF1参戦する事となります。(イメージ的には、ロータスがルノー・チームのスポンサーになった感じ)
そんな訳で、2011年は2つのロータス・チームがF1に存在していたのですよ。
(混乱を避ける為、ロータス・ルノーGPは「ルノー」、チーム・ロータスは「ロータス」となりました)
*:
当時のルノーチームは、ルノーの名を名乗ってはいますが、メーカーとしてのルノーは、クラッシュゲート(2008年シンガポールGPで、ネルソン・ピケJrにワザとクラッシュさせて、本来なら有り得ないタイミングでタイヤ交換させたアロンソを優勝させた)が発覚後に株式の殆どを売却し、チーム運営から離れていました。
2つのロータス・チームの結末は、結局はメーカー側の力関係が働いたのか、2012年からは ロータス・カーズの
“ロータス・ルノーGP” がロータスを名乗り、トニー・フェルナンデスの
“ロータス・レーシング” は ケータハムを買収した事から
”ケータハム” の名称で参戦する事になりました。
この年のロータス・ルノーGPは、前述のアブダビGPでライコネンが優勝。
一方のケータハムはというと、弱小チームらしく低迷したまま、小林可夢偉が乗った2014年シーズンを最後にチームは消滅しました。(通算獲得ポイントは 0点)
ロータス・ルノーGPも、2016年にルノーが再買収、ワークス・ルノー(現在のアルピーヌF1チーム)となった為、再び ロータスの名が F1から消えたのでした。
F1において、フェラーリに並ぶビッグネームであるロータスですが、この後復活する事は無さそうです。
まぁ、提携相手のアルピーヌが “名乗らせてくれれば” ワンチャンあるかもしれませんが……。
ただ、ケータハムのような結果に終わってしまうようなら、ロータスの名を汚さない為にも 参戦してもらわない方がいい気がします。
何より、我々 オールドF1ファンにとっては、ロータスのF1と言えば
“チーム・ロータス” ですから。
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Lotus | 日記
Posted at
2022/01/11 06:24:19