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2021年08月17日

日本の自動車メーカーの沿革(日産・三菱編)

日本の自動車メーカーの沿革(日産・三菱編) 昨日のブログで、日本の自動車メーカーのうち、同族経営の会社について書きました。


それは、トヨタ自動車 についてブログを書く為の、プロローグの様なものだったのですが、同族経営以外の会社について触れないのも何なので、トヨタ自動車編の本編に入る前に、残りの会社の沿革について触れておこうと思います。





日産自動車と言えば、長らくトヨタ自動車のライバル関係にあった会社です。


タケラッタの様なオッサンは、トヨタと日産が2大メーカーだった頃を知っているのですが、今の若い人には想像もつかないかもしれませんね。


日産(日本産業株式会社)の創業者は鮎川義介であり、発祥は 経営危機の他財閥を引き継いだ日産コンツェルン(鮎川財閥と呼ぶこともある)であり、日本鉱業(ジャパンエナジー → 現在は ENEOSに統合)が源流会社と言えます。


日産コンツェルンには、上記の日本鉱業以外にも、日立製作所を始めとした日立系の会社が名を連ねていましたが、戦後の財閥解体後は、源流会社の日本鉱業も日産の名を継がず、自動車製造部門のみが“日産”の名を継ぎました。


一応、かつての同門という事で、『日産・日立グループ』という枠組みと、グループ会社の社長会『春光会』というものがあるようですが、余程 経済界に詳しくないと知らないでしょうね。





話を日産自動車に限定すると……日産の名を継いだ日産自動車でも、創業者一族の鮎川家の存在は感じられません。


むしろ、日産と言うと「労使闘争」のイメージで、社長よりも労組のトップの方が力を持ってるんじゃ……なんて時期もありました。


特に9代目社長の川又克二の時は労組側の塩路一郎と癒着、塩路の専用車はプレジデント、品川区に7LDKの自宅、自家用ヨットを所有し、日産社内では「塩路天皇」と呼ばれていました。(ヨット……確かレバノン人も豪華ヨットを所有していたよね)


もう、この頃から上層部が会社を食い物にする“文化”が日産にはあったんですねぇ。


11代目社長の石原俊は、川又ー塩路ラインを突き崩す為に、まず会長だった川又を相談役に退け、塩路委員長の女性問題や ヨット所有などの豪華すぎる生活をリークさせ、塩路を役職から退かせたのです。


日産自動車の創立50周年パーティーで握手する(右から)自動車労連会長の塩路一郎、会長の川又克二、社長の石原俊(肩書はいずれも当時)


んー、この辺も「ゴーンを売った」事に繋がってる気がする。


日産の経営陣って、ドロドロとした感じが拭えませんわ。(汗)





お次は、日産傘下となった三菱自動車です。


その名の通り、本来は三菱財閥の自動車メーカーです。


三菱財閥自体は、土佐藩出身の岩崎弥太郎が創立した三菱商会が発祥であり、三井、住友とともに三大財閥と言われていますが、その殆どの会社に“三菱”の名を名乗り、最も結束力が強い財閥という印象です。(逆に、メガバンクで“三井”と“住友”がくっついた時は、とても驚きました)


ちなみに、三井系の自動車メーカーがトヨタで、住友系の自動車メーカーがマツダです。(ホンダは三菱銀行と関係が深いが、それは単なるメインバンク)




さて、三菱自動車に話を絞ると、1970年に三菱重工業から独立した会社であり、三菱自動車自体に創業者がいる訳ではありません。


ちなみに、初代ギャラン(コルト・ギャラン)が発表された1969年は、まだ三菱自動車ではなく三菱重工でした。




三菱重工と言えば、ロケットや戦闘機を作っている会社であり、天下の三菱系の会社という事もあり、恐らくエンジニアの学歴に関しては自動車メーカーの中でもトップクラスだった筈です。


ただ、“親方日の丸”ではありませんが、三菱の旗の元、安定というぬるま湯に油断があったのでしょうか、2度のリコール隠しや、軽自動車の燃費偽装などで、ユーザーの信用失墜を経験。


2度のリコール隠しの時はオール三菱で三菱自動車の経営再建にあたりましたが、軽自動車の燃費偽装では、不正発覚後も国交省の指導した方法を用いず不正な方法で燃費測定し続けていたことが明らかになると、遂に三菱グループも支えきれなくなり、日産の軍門に下る事になりました。




三菱の社長と言うと、上の写真の益子修氏くらいしか思い浮かびません。


2005年に、前年に発覚した2度目のリコール隠しの影響でどん底の三菱自動車の社長になったので、それはそれは大変だったとは思いますが、益子氏の代で三菱を代表する殆どのモデル(コルト、ランサー/ランエボ、ギャラン、ディアマンテ、パジェロ、etc...)が生産中止、または 生産中止の決定がなされました。


売れない車種の整理は致し方ないとは思いますが、売れる車にするために努力はしたのですかね?


名門、三菱自動車は、今は見る影もありません。


“三菱”の誇りを持っていた筈の歴代社長は、今の三菱自動車をどう思っていますかね?(ちなみに、三菱自動車の社長の学歴を見たら、2代目から8代目まで東大、もしくは 京大でした。さすが三菱!)





えー、日産・三菱編ではありますが、もう一社の沿革を最後に記します。


それは……


プリンス自動車です。


1966年に日産自動車に吸収合併された、今は無き自動車メーカーですが、それだけではなく、結構な変遷を辿っているので、詳しく知っている人は少ないでしょう。(かく言う私も Wikiのお世話にならないと分からないし……)


創業当時は、電気自動車の生産から始めた様です。




石川島飛行機製作所を前身とする会社は、「東京電気自動車」、「たま電気自動車」、「たま自動車」と数年おきに社名を変更、1952年(昭和27年)にプリンス自動車工業株式会社となります。


その後、中島飛行機系の企業である「富士精密工業」と1954年に合併、但し、この合併では富士精密を存続会社としたので、一旦“プリンス”の名は消えます。


1961年に富士精密工業株式会社がプリンス自動車工業株式会社に社名を変更、“プリンス”の名が復活します。


そして、1964年の第2回日本グランプリで、スカイラインが 一瞬ではありましたがポルシェ904の前を走ったことで、スカイラインは伝説となったのです。





1966年、プリンス自動車は日産自動車に吸収され、メーカーとしてのプリンスは消滅します。(販売会社としては、今でも『日産プリンス○○販売』という会社があります)


1968年に発表されたスカイラインは、プリンス自動車で開発されていたものの、登場時は 日産・スカイラインとして発表されたのでした。







今回のブログでは、日産 及び 日産と関係のある 3社の沿革について纏めてみました。


いずれの会社も、経営は上手くいっていないんですよねぇ。(プリンスに至っては、会社が消滅)


やっぱ、同族経営の方がいいのかねぇ?
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Posted at 2021/08/18 00:29:16

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