今回のブログは、少しばかり重い話です。
QOLという言葉をご存知ですか?
QOLとは、
Quality Of Life の頭文字を取ったものです。
この言葉は、
尊厳死について語られる時にセットで語られるキーワードです。
昨日のブログで、私の父がマイナス思考の言葉を口にしている事を書きましたが、父は20年以上前から、この考えを持っていて
『尊厳死協会』に入り、延命治療は望まない事を書面で残していました。
ただ、その頃は今の様な状態になるなど考えてはいなかったと思います。
「植物状態になり、意識もない状態で生かされるなんてゴメンだ」
当時はそんな事を言っていたと思います。
しかし、それから10年ほど経った頃、母が認知症となり、晩年は自分の名前が分からないどころではなく、意思疎通すら出来なくなりました。
認知機能は失われた母ですが、認知機能以外では大病もしなかった為、誰とも意思疎通出来ない状態のまま数年生きて(生かされて?)いました。
そんな状態の母を見るにつけ、父は「これで生きていると言えるのか?」というニュアンスの事は言っていましたが、最期まで母を見守り続けました。
そんな母の臨終の前後、父の身体に異変が。
「身体の左側の自由が利かなくなってきたような気がする」
始めは 椎間板ヘルニア が疑われていましたが、医者の診断に納得できなかった父はしつこいくらいに病状を訴え、ALSである事が分かりました。
さらにその前後で、難病の血液の病気も見つかり、通院が欠かせない身体になっていたのですが、ALSで筋力が衰えて来ると通院そのものが辛くなってきます。
そして、筋力の衰えが原因で、自室で転倒……。
「思うように動かない状態で生きているのは辛いだけ」
晩年の母を見守っていた父だけに、そんな思いが強くなってしまったのかもしれません。
とは言っても、一応は自室で暮らせていた父。
いくら完治が出来ない病気だといっても、QOL を言い出すのは まだまだ早いと思っていました。
しかし、再び転倒して頭を打ち、救急車で運ばれた時は、「頭を打った事で脳出血したのか、血液の病気の薬が脳出血を誘発し、それが原因で倒れたのか、判断できない」と言われ、一層
「もう治療は受けなくてもいい」と思い始めた様です。(結局、薬の量を半分にする事になり、今は体調が安定しているのですが)
通院の時期になると
「投薬治療を止める」事を主治医に相談したいと私に訴え、その度に「延命はしなくてもいいけど、まだ治療なんだから」と諭す感じでした。
ですが、この数週間で父の衰えは一気に進んでしまった様で、もはや車いすへの移動も難しくなり、本当に寝たきりといった感じになってしまいました。
「そろそろ俺にもお迎えが…」と言う度に、「新居が完成したら見に行くんだからね!」と発破をかけていましたが、どうやらそれも難しそうです。
昨日は「写真でもいいから完成した新居を見てよ」とお願いしておきましたが……。
既に携帯電話の操作が自分では出来なくなりつつある父ですので、こちらから頻繁に電話するというのも難しくなりました。
やはり、なるべく会いに行くのが良いのでしょう。
施設のケアマネージャーも
「ご家族の顔を見た日は、穏やかな表情になる様です」と言っていましたし。
「早くお母ちゃんに会いたいよ」という気持ちも確かにあるのでしょうが、もう少し頑張って欲しいです。
新居を見に行くのは難しいかもしれませんが、我々が新居に引っ越せば 親父の住む施設まで約15分。
千葉に居る今より、もっと頻繁に会いにも行けます。
そうなれば、今よりはマシなクオリティオブライフになるかもしれないし……
クオリティオブライフ……
ちょっと クアドリフォリオ に似てる!?
(最後にオチャラけてしまった…💦)
Posted at 2023/01/10 23:43:14 | |
トラックバック(0) |
家族 | 日記